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ペパーミント・フラッペのニューランドのレビュー・感想・評価

ペパーミント・フラッペ(1967年製作の映画)
4.0
✔️🔸『ペパーミント・フラッペ』(4.0)🔸『ザ・ファイト』(3.5)▶️▶️

 台風の事等でオロオロしてて誤送信、本日中に西日本へ列車移動の予定が中止、空いた時間と今後仕事に戻る段取りの間に、昔のビデオ録画を観る。感想は追い追い。 
 サウラとフライシャーでは一世代以上違い、かなり前衛的芸術派とでもいうのかと、何を任せても安定した仕上げ・反応を取れる職人というのか、と一見畑が違うように見えて、かなり様々なジャンル・題材を、それもどれをも自分のものに出来る腕と市井の持ち方は共通してる。両方とも高齢の最晩年まで第一線にいたし、親子2代大監督というのは、フライシャーの他にはオフュルスくらいしか思いつかない。野村父子は違う。そして2人は、スペイン先鋭、アメリカ時流アクション、の各々トップにいたわけではなく、3番手くらいだったわけだが、只観客への当たり触りは上2人?よりも良くて、柔軟でシャープが際立ったであろう。
 サウラが、日本の興業街ではアントニオ・ガデス劇団絡み新作辺でと、FCやスタジオ200ではその前のJ・チャップリンらとの政治アート色濃い時代と、同時紹介されて、なんか巾広がピンと来なかったが、後者の『狩り』らと並ぶ最高傑作と言われる『~フラッペ』は、『~アンヘリカ』『ママは~』『カラス~』『急げ~』らと違い、TV放映に限られていたか。
 ブニュエルへの献辞があり、初老の男の、女の部位や装身具へのフェティシズム、記憶や執着への妄執、らはそれらしく、乱行・破壊・逆転に至るラストもそれらしいが、本質的にブニュエルほどラジカルとは言えず、寧ろ中盤迄の透明で微細な謙虚筆致狂気に、ブニュエル外にも、ヒッチコック『めまい』ロージー『できごと』という各々の最高傑作への接近を感じる。取り憑かれたブロンドの女に、身近な地味な女を似せてゆく(当然1人2役)。異世代の派手で刺激を投げ掛けるカップルに、割込み更に抹殺す。
 抑えて整えた沈み透明めに原色近くの割込み物が美しいトーンで、タッチも正確でシャープで狂気が滲み目覚め出すもの。中間サイズのフォローやカッティング、L(俯瞰)での押えやパン+ズーム、オペラからリリカルまで適宜効果的音楽らがしっかりクールに固める中の。パーソナルな視点を這わす人物に同調めの執拗めカメラワーク、それで出来たりする対象との縦の図、扱う物への手つきと関心連なり、らの接写めら。出逢いや対応初々しめを表す角度変やや離れた切返し暫く、らの関係性作られ。の半独立と溶け込みは、スチュアートとノヴァクの出逢いシーンを、ややヴィヴィドにしたようで滑らか過ぎるデリケートさは同等だ。
 只、半ば廃墟となってる生家に集まってよりは、幼少特や異国旅行時のイメージのモノクロ回想は変わらず入るも、野外ステージ踊りまくり、カメラ収め、木工ゲーム成否、連れ出し誘い、夫婦で馬鹿にする見返り、犯罪、大団円、らアップや手持ち揺れ動くとLとの段差と角度顕著に大胆に押しまくられ、慎重をやや欠いてくるようにも。
 初老の開業医師が、幼馴染みの不動産屋と再会、友の若い新妻に記憶の憧れのひとと驚き、接近してく。同時に彼女に似てるに気づいた、自院の看護師に近づき、メイクも意識も変えてく。そして、幼少を過ごした現・半廃墟に、夫婦を連れ来て懐旧がてら、妻を落とさんとし、友は友でこの地を売る工作に来てた。夫婦の冷めたしっぺ返しに、約束の看護師合流前に、事故を計画実行する医師。看護師着いて、記憶内の旅先美女は彼女と知らさる。
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 とくにファンでもないのに、フライシャーの多作・多分野には、驚かされてきた。それが続くのは、無個性・拘りのない透明感を端から持ち合わせているからかな、とも思う。均質で達者で、観てるとすっきりし柔らかくなり、虚無と平静が訪れる。しかし、これを作ってる見えない枠の底が破ると、只、闇と血泥の沼がある。因果も恩讐も刑罰も導かないのに、只無間が存在する、作へも。
 『ザ・ファイト』は底を抜かずに、只均質に照り返し、無類・無の明るさに達した作であり、キャラらが損得とそれの無しで絡む以上に、張合い、前へ進むこと自体を生としてくに至った作。『レイジング・ブル』のテクニックと闇と、『ロッキー』の疑い無さと助け合う意気と配置に依る作である。動き対峙を跳ぶ素早いパンや、打ち打たれのフレーム占拠強い図とその半主観切返しの力、会場の時に闇の内へ、らの陶酔させまたとてつもない才のキレと、全の拡がり抜けと、各人呼応の人間力の弾み、音楽の快感へのノリの、両極を持てる枠の無い、透明感の存在。それは得難いあり得ない独自でオープン世界。『ロッキー』を昔招待券で観た時、フィラデルフィアの市井の人達の追い詰められた生活と意気はよかったが、いざ試合でのスタローンのファイトで急に興ざめしたが、今回は端からアマ、クェイドに無理はないし、とことんパンチの信念込み効果的でない打ち込みの図や重ねを納得させる。
 手堅い仕事を拒み、妻子がいるのに、歌手を目指す男。当面の金に、酒場でのパンチを見初めたプロモーターにものせられ、アマチュア多数を集め大会場での興業に、賞金目当て参加。優勝! これ以上はムリでも、次の大会場大賞金にも参加。TV宣伝番組で歌も披露可能、の為だがそれ以上に惹き付けるリング感触も。妻や家族、コーチ引受の前回敗退者らの、バックもあり。何よりプロモーターは、他の芸能社他、地元産業の幾つかを纏めて持ち、政治勢力との軋轢持ちかねない力を持ってて、大事に至らないよう、早めラウンド終了ゴング打ち、や他の芸で売れそうな者は他所へ、等あくまで「ショウ」優先のスタンスが分かってくる。お気に入りを勝たせてく、方策も。TVで歌が反響で、主人公にも念願のアルバムや公演契約飛び込み(実はプロモーターの社)、拳闘に参加の必要もなくなり。まして今度の大会は、じつはプロの男の優勝既定路線と。このまま決勝で闘うと、観客の残酷への期待で危険すぎ。が、主人公は、これまでの勝敗流れの責と、バックの人達の支えてきてくれた事、何よりやり抜く事・モヤモヤではと、とプロモーターのショウ感覚を突き抜けてしまう。そして勝利には、ビジネスを離れるとその意気に感ずプロモーターも感動させる。
 とにかく、気楽に寝っ転がって、かつイキイキ無理なく自然に伝わるハート。時に細かく鋭く、時に柔らかく平明なカメラ、のナチュラル名。『レイジング・ブル』が『あしたのジョー』なら、これは『ハリスの旋風』でより心地いい。点数なら、近年の拳闘映画では、『ロッキー』『百年の恋』よりは上回っても、『レイジング・ブル』『ゴングなき闘い』には届かないとしても。これが映画だ、サイコーだ。現実の死期近い、オーツ、自然体で嫌みなく、風格も出て、改めて流石。ブラウン管用でフルスタンダードをトリミングしてない構図で放送。
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