イスケ

グラディエーターのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

グラディエーター(2000年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

この頃のラッセル・クロウが引くほどカッコいい。

一方のホアキン・フェニックスの哀れなクソ野郎ぶりもさすがで、めちゃくちゃムカつかせていただいた。

徐々に鬱憤を溜めていき、爆発寸前の状態。そりゃジョーカーにもなりますわ。



やっぱり印象的だったのは、皆が掲げて運びたがる奴隷と、ほったらかしにされる皇帝のコントラスト。

身分が逆転している様子は、皆に愛された人間と皆に嫌われた人間の究極形だろう。

生きてきた証が散り際に凝縮されていて、哀れに哀れを重ねたコモドュスにとって相応しいラストだったよね。



コントラストで言えば、コモドュスが父・アウレリウスを殺したと理解した後、
新皇帝のコモドュスを無視したマキシマスと異なり、ビンタをした後にキスをするしたたかさを見せたルッシラの差も興味深かった。

あの時にマキシマスがルッシラのような感情的な中にも理性を持った対応ができていれば、妻子ももしかしたら……そんな風にも考えてしまう。


この作品は、マキシマス以上にコモドュスについて考えてたくなる。

コモドュスの哀れさって、
「言うても自分も愛されているだろう」
と考えているところにある気がするんだ。

父親に疎まれていることを多少は理解していながらも、それでも心の奥底では「本当は理解してくれている」と信じていたのだろう。


王位継承が自分に為されないと分かった時に流した涙の意味。

そんなこと夢にも思っていなかった?
もしくはその逆で、薄々その可能性を感じていたからこそ、皇帝の座をマキシマスに継承すると通達され、本当に父から愛されてなかったんだと確信してしまった?

個人的には後者だと思う。


また、これは父に対してだけではなく、ルッシラに対しての感情にも言えることで、
ビンタされてキスされた時に、「父を殺したのに受け入れてくれた」と、考えたんじゃないか。

彼はどうすれば人から愛されるのかを理解できない人のように見える。

皇帝になって力さえ持てば、マキシマスのこと以上に自分を愛してくれる。
マキシマスが持っていた父からの愛と、ルッシラからの愛を両方とも奪ってやったぞ!

そう考えていても不思議じゃない。

でも実際のところは、

どんな身分になっても人を惹きつけてしまうマキシマス。
皇帝という立場になってしても死体を運んでもらうことすら叶わないコモドュス。

という、
より哀しみ溢れる構図を生み出すことになってしまった。


コモドュスは力を持つべきじゃなく、手放すべきだったのですよね。それは彼のためにも。

力ではなくて、愛や赦しの精神を持つべきだったのだけど、その感覚が欠如していたばかりに民衆や側近から慕われることはなかった。

要約するなら、権力を持ったローマのコミュ障男だったと。



ただね、彼は誰からも愛されてなかったわけじゃなかったと思うんですよ。
アウレリウスは本当は息子を愛していたはず。


マキシマスに対しては、コモドュスのことを忌々しく語ってみせたりしていたけれど、

「息子が至らぬのは、至らぬ父親を持ったからだ!」

と、涙を溜めて、息子を抱きしめようとする姿を見て、これが本心じゃなかったなんて思うことはできない。

皇帝の座をマキシマスに継承した理由の中には、
父親としてコモドュスに残そうとした最後の愛も含まれていたんじゃないかと思う。
イスケ

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