午後

ウラジミールとローザの午後のレビュー・感想・評価

ウラジミールとローザ(1970年製作の映画)
3.3
裁判のシーンなのに喋っている被告も検事も弁護士も写さずに陪審員の視線の動きを追い続けるカットが印象的。映像の文法や、カメラのフレーム、ステレオタイプの持つ抑圧性へのカウンターなのかな。
私たちは映像の中で首を傾けることも、眼球を動かすことさえできない。ある出来事の現場をそのままフレームに収めることはできない。それでは、ある出来事を、音と映像で、どのように伝えることができるのか。
黒い画面がある対象の不在を炙り出す。不在を強調することによってその存在が浮かび上がってくる。不在によって存在感を主張する。黒画面の使い方が特徴的。「我々には黒画面は色彩豊かな画面なのだ」。
この映画では黒画面による色彩の表現、不在による存在の表現という逆説的な映像表現が試みられているのだと思う。
正しさよりも権力が重視される法廷で、その外側の(いや内側の?)生活で、黒人差別や女性差別、階級間の格差などが声高く論じられる。
政治色の強い時期のゴダールにしては見やすかった。
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