午後

哀れなるものたちの午後のネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

 自殺した成人女性の遺体にその腹の中の胎児の脳を移植されて誕生した、現代のフランケンシュタイン兼メアリー・シェリーであるベラが、薬品の匂いと人体解剖でいっぱいの箱庭だけでは満足できなくなり、閉じ込められていた家から飛び出して、行く先々でまた閉じ込められては飛び出していく冒険譚。初めは生まれ育った家、婚姻制度、次には男の所有欲、その次には売春=資本主義のシステム、そして自分の生理学的なルーツ・過去へと絡めとられながらも、それをするりと脱ぎ捨てていく。ロンドンから出て、リスボン、アレクサンドリア、パリへと、様々な国を遍歴しながら、甘いお菓子や音楽、強いお酒、性の快楽、様々な言葉を覚えていく。ダントンからは感覚の喜びと束縛されることへの嫌悪感を、船に乗り合わせた二人組からはエマソンやゲーテの思想と現実主義という名の厭世主義を、アレクサンドリアでは貧富の格差と世界の残酷さを、パリでは貧困の自由さと不自由さ、売春宿では金の稼ぎ方、理不尽なシステム、そして共産主義思想を少し。まずは奔放な性描写が目を引くが、ベラの快楽の対象は膣から性の商品化を経てクリトリスへと移っていくのはカトリーヌ・マラブーの『抹消された快楽』への目配せだろうか。

 一見したところ、家父長制、婚姻制度、家族制度、性的役割、資本主義システム、所有制度等々の規範から逸脱していくラディカルなメッセージ性を持ったフェミニズム映画のように見えるが、結局のところ実家に戻って親にあてがわれた相手と結婚して親と同じ職業を目指すという、極めて保守的な選択に落ち着いている。自分の意志で決めたことだから良いということなのか?とはいえ、彼女の価値観や判断基準は、結局のところ生まれ育った環境の中で培われたものではなかったか。何も知らない子供から、世界と出会い、様々な体験をしていきながらも、ゴッドから受け継いだ科学主義的な合理性と進歩主義的なオプティミズムは一貫しており、それが疑われることはないからだ。「キリスト教国では狂気か罪悪とみなされる」と劇中で語られる自殺から生れたベラは、そのまま既存の価値観を突き破り、善悪の彼岸へと突き進むのかと思いきや、アレクサンドリアで野垂れ死んでいく赤子たちを眼にした時の反応は、無邪気にカエルを潰し、目障りな赤ん坊に殴りかかろうとしていたベラと同一人物であるとは思えないほど良識的で、あくまでヒューマニズムを生得的な感情として描くのは、もしもこの作品の狙いが既存の価値観や道徳の批判・解体にあるのだとしたら、少し甘いのではないのかと思った。それは船の中で交わした会話や読んだ書物によって社会化された結果であるのか?この物語は、一人の無邪気な子どもがやがては社会化され、家族を作っていく過程を描いた陳腐なビルドゥングスロマンの一変種なのだろうか?これを成長と容易く呼んでしまっていいものだろうか?
 映画のテーマについて考えようとすると上記のようにわけがわからなくなってくるが、スチームパンク的な世界観、奇想天外なキメラ達、広角レンズや魚眼レンズを多用した突飛なショット、頻繁なセックス描写等、奇抜な映像描写によっても頭が掻き回されて、観ている間ずっと混乱した気分で楽しかった。前情報なしで、劇場で観ることができて良かったと思う。

 一緒に観に行った友達が、上映終了後、真っ先に「誰が一番嫌いだった?」と聞いてきて面白かった。
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