ニューランド

優しき殺人者のニューランドのレビュー・感想・評価

優しき殺人者(1952年製作の映画)
3.5
☑️『優しき殺人者』及び『恐怖の精神病院』▶️▶️
サイコロジカルな分析的映画というより、それに独断的に立ち入らず、そのまるごとを社会との綱引きや係わり·絡まりの中で捉えユニークな分、数十年前のアメリカでは一般的話題を取り得なかっただろう、2本の映画を観る。
『~殺人者』。これは映画·或いはオリジナルの舞台の特性を一応活かしてます·位で、タッチが特にリードというより際立たず自然に情況に沿ってる、位のスタンスなので、表現による強調が避けられてる分、本当に怖い。心身共に明らかに病んでる(何かに記憶障害+分裂症の合併みたいに書いてあった)転々として自ら売込む·清掃請負業の男、R·ライアンの役は、同じく若き頃は変態役もやってたミッチャム(或いは他作でのライアン)の悪意や肉欲とも結びついた積極的迫り来る不気味さ(或いは歪んだ確信に基づく復讐)と違い、他人の評価·好嫌·認可に対しまるで自信かなく不安で弱気の塊りの分、少しでも好意·拒否ではないものを見せてくれた人間には、絶対の信頼を求め·それが少しでも裏切られると、制止出来ない自分の側の受け身の理想の強要に向かう。悪意はないが、瞬間的な沸騰·強圧は、落差が大きい。すぐに記憶から逆上した時の事は全く消え、大人しめの人に戻る。性格のしつっこさや背景はないが、疑惑·不信が渦巻くと、自己存在を賭けて·社会ルールや相手への配慮を越えてしまい、只得体が知れず·恐怖の程度を予測出来ない事が、こちらの肝を冷やさせ·神経を磨り減らさせてゆく。
OLやその水面上のイメージ、屋外だと大Lパンの追いや·メイン室内だと何気の俯瞰め縦図の2人の位置的脅威の極り、偶然近くの鏡に入り映り込む思わぬ接近の驚き、等あるが、基本、やり取りや不可解行動のカットをあまり割らないまま捉え、瞬間の表情のあり方の押さえ(急な感情·反応の生まれ·現れも)、対応や角度を適宜にカット分け、視野や位置関係の縦図·仰角図、で劇的強調を排したナチュラル信仰とでも言えるものなので、その正確な心理的·社会的脅威の記録性は半端ないものとなってる。中盤からは、偶然偶然で流れるだけで、同時に脅える側に同情や肩入れがあるわけでもなく、いくらでも不備·過剰も指摘可能にも見えるものになってる。1918年、兵役不合格の起点がなくても、恐ろしい程のリアリティがある(兵隊姿の写真だけでの過剰反応の様子の方が異常)。
---------------------------------------------------
マーク·ロブソンという名は知っていたが、映画を観始めた頃は、S·ローゼンバーグ、J·L·トンプソンらと並び、凡骨というイメージしかなかった。ちょうど、ニューシネマ移りニューハリウッドが勃興した頃。アメリカでも作家主義·作家政策が語られる時代となっていたのだ。しかし、TVで’60年代の作品を観て、すぐにローゼンバーグやトンプソンは復権した。凡庸な『さすらいの航海』等とは桁違いの作品を創ってたのだ。
が、ロブソンに関しては、わりと最近RKOの早逝した、短尺怪奇名作連打の名プロデューサーの作が、GEOのレンタルV屋に違法に並んだり、名画座特集上映で目にする事ができ、遅まきながら驚嘆した。その1本目が『~精神病院』だった。以降、初期のロブソンは好んで観るように変わった。
改めて観ると、腰の座りかたが図太く凄い。善は、無私の純粋な力から達成されるのではなく、何かを持ちそれにすがった悪よりも、ふてぶてしい自律した自信の頼みの実体のないことからなされる、手応えが正統性を越えてある。演劇くさく、重ったるい作風ながら、作品を貫くスマートとも言えず、最適ともいえぬ技法の太さ。建物にぶら下がった者への不器用なズーム、命運を掴み踏み落とす看守との不器用な寄りのどんでん·(90°)切返し、精神病院前に停めた馬車内からや·大貴族への謁見を室外で待つ院長の横図どんでん(奥の存在)の力感、院内に見学で入った女から高めへ後ろへゆっくり大きく退くと荒れ果てた生態の思わぬ一望の懐ろ、院内に用意していった身を守る武器の紛失·再現れのストレート切迫効果、他他。
18C英国の、人権無視罷り通り、政治犯らの名ばかり診察強引収容の、悪名高き精神病院。実質スポンサーの大貴族に、院長は媚び、反発の職人クエーカー教徒は、大貴族が拾い上げその機知で脇に置いてる御伽衆的な女を焚き付ける。「魂のない存在」へも、「力支配」はいたたまれず、患者の玩具化空気から離れるを、「哀れみ·優しさ」を内で持つを見抜き。大貴族の評議会参画や、対立政党の牽制を使わせて。しかし、収益に結び付かず苦虫顔、院長も彼女の危険性を伝え、診察·収監される女。が、中で彼女は中身は冷たく見てた患者らと心通わし、個性と暖かみ豊かな人間を真っ直ぐ認めてく。政治犯·元法の番人らも含め、院内の士気も高まり、院長を逆に法廷的に取り囲む。「権力の恐さに従い、自己を失い、内に残虐性に溺れ」心の内まで明かす院長を断罪せず、正規の裁判のルートも決めるが、思わぬ怒りを貯めた患者から鉄槌を下され、隠蔽されてく。しかし、クエーカー教徒言うごとく、彼らの責任は問われぬと、いい意味の高を括れる。
鋭く魅力的も体制の庇護に慣らされ傲慢さも併せ持つ女が、ある切っ掛け·あるサジェストする人との出逢いから、目の前の対象と自らへの贅肉の付いた解釈から、削ぎ落とし飾りない素の有りようの見極めと、迷いない行動と情愛に進んでく、姿の清々しさの本来への回帰·女性と人間への戻りがより魅力的に、光ってくる。
ニューランド

ニューランド