ちろる

山椒大夫のちろるのレビュー・感想・評価

山椒大夫(1954年製作の映画)
4.5
ひとは慈悲の心を失っては人ではない
己を責めても人には情けをかけよ
人は等しく生まれてきた。
幸せに隔てはあってはならない。
どこまでも正しさを貫いた父親(陸奥掾正氏)との別れから始まる壮絶すぎる安寿と厨子王の物語。
(姉弟であった、童話の『安寿と厨子王』とは関係は逆です)

筑紫へ向かった後に行方不明となって父親を探すため、長い道のりを歩く母と兄妹。
盗賊や人身売買が横行する地域で、人を信じた故に純粋は家族は本当の意味で一家離散。
プロローグにもあった、(人がまだ人でなかった時代)との言葉通り。
所謂お嬢とお坊育ちであった兄妹はこの人でなしたちの裏切りによって残酷にも奴隷となるのだが、、 この奴隷生活の中にも山椒大夫の息子や、幼い安寿の身の上を思いやる奴隷仲間の女性などなど、所々に慈悲の描写は忘れない。
それでも、それらの慈悲が汚れた権力に勝つ事が出来るはずもなく、純粋だった瞳が淀み父の教えを封印していく厨子王(陸奥若)の姿は10年という月日の残酷さを見せるのに十分である。
厨子王恋しや、安寿恋しや♪
遠く離れた母からの愛の唄と叫び、届くわけないその想いは風に乗って届いた時、それぞれの運命はらまた動き出す。

安寿は兄の人間らしい心を取り戻させること
厨子王は汚れた世を立て直すこと
そして母は息子娘に再会すること

安寿の決めたあの沼地での神々しい決断を誰が責められようか?
切なかろうが、日本映画史に残る名シーンだろう。

死ななきゃ仕事は辞められない。
私たちは人間ではないのだもの・・・
人間は我が身に縁なければ、人の幸せ不幸せに一切興味がない寂しい世の中である。

もともとの「山椒大夫」の説経節はどちらかというと復讐劇の要素が強いという。しかし森鴎外は残酷な描写を削り、深い家族愛を軸に、どんなに酷い境遇となろうとも恨み辛みよりも望みを捨てなかった慈悲深い人の美しさを明るみにする人間賛歌となっている。  
これに、溝口監督がモノクロームにのせて魅せる平安の風光明媚な日本の古来の自然、そして圧倒的なラストシーンがいつまでも心の中に刻まれる名作である。
ちろる

ちろる