シャチ状球体

幻想殺人のシャチ状球体のレビュー・感想・評価

幻想殺人(1971年製作の映画)
3.7
ルチオ・フルチが『女の秘めごと』の2年後に監督したジャッロ映画。

冒頭、大人一人分くらいの狭さしかない空間や背景の真っ黒な部屋が登場する夢世界の表現が秀逸。
カメラを揺らしたり、いきなり主観視点に切り替わったり、画面を縦に2分割したりと、夢が人間には操作することのできない超自然的な現象であるというような演出手法が、次第に夢と現実が交差していくキャロルの恐怖心を表現できている。

自分が夢の中で殺害した人間が現実でも死体で発見されるというサスペンスフルな導入では、女性を主人公にしたジャッロが不安をテーマにしているという共通点が早速浮き彫りになる。
フルチ自身が監督した『ザ・サイキック』や『マーダロック』でもそうだし、アルジェントの『サスペリア』や『フェノミナ』でも、女性主人公が自分を狙う何かから逃れようとするが、それが実体を持って目の前に現れたり"それ"の正体がすぐ身近にいたり、結局逃げられなかったりする。これは個人的な推測ではあるけど、"それ"とは男性性のこと。もちろんこれはカッコつきの男性性で、男性優位社会の中での男性性とは暴力や殺意、男性的ではないとされるものの価値を低く見積もることで他者を蔑ろにする自己中心性そのものでもある。
女性主人公の場合は男性性によって自分を支配されてしまう不安や恐怖、男性主人公の場合は男性性を失う恐怖。男女二元論で嫌な感じだけど、これらを決定論的な立場から描いているように見えるのは恐らく家父長制が段々と崩壊の兆しを見せていた当時のヨーロッパの世相を反映しているからで、そんなテーマになっているのは作り手が男性中心であることが影響しているのだろう。

ジャッロ映画で描かれる殺人は基本的に悲しみや喪失を伴わない概念的な表現であることが多いが、今作における殺人は抽象的な部分と現実的な部分が入り混じった複雑なもの。
他にもエンニオ・モリコーネによる不安を誘うスコアと共に、ジュリアが夢とリンクするドゥーラーの死の真相を追っていくというジャッロの面白さが詰まった見所だらけの映画になっている。
冒頭の夢のシーンの伏線がちゃんと回収されたり、フルチってこんなに面白い映画が撮れるんだ……と感心したけど、ラストは二時間サスペンス並に真実が明かされまくるので余韻に浸る暇がない。

あと、キャロルのストーカーがニコンのカメラを持っているシーン。『マンハッタン・ベイビー』の序盤でスージーの母親が同じくニコンのカメラで写真を撮るシーンがあったけど、今から思えばあれはカメラ=超常的な何かに主人公が監視されているというメタファーだったのかもしれない。

最後に、ジョーンがベリーという名の友人に再開するシーン。ジョーンの台詞が「Hi. Very berry,」に聞こえるのは空耳なのか、それとも……。
シャチ状球体

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