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吸血鬼シニスターの復讐
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『吸血鬼シニスターの復讐』に投稿された感想・評価

Nappon
3.4
ランス・コンフォート監督、1965年作。
(filmarksにはリストが少ないが結構多作な監督、ただしほとんどがB級映画)

鑑賞人数と評価の低さ(1.0!)に興味をそそられ鑑賞。


冒頭シーンのあまりのチープさに一瞬怯んだが笑、予想よりもストーリーがあり、しっかり映画だった。

以下ストーリー
↓↓↓↓↓

舞台はフランスのブルターニュ地方のある村。
村には、その昔1588年に生き埋めにされた、evil eyeをもつシニスター伯爵の伝説があった。

そんな村に、友人達と休暇で訪れたバクスター。一年に一度行われる「失われた魂を戻す儀式」の噂を聞き、出かけてみることに。
そこで出会ったジプシーから不吉な予言を受けたバクスター達だったが、それから次々と起こる事故死、不審死。どうやらバクスターが持っているある物が狙いのようだがー。

こうやってストーリーを書いてみるとおもしろそうなのだが、カメラワークやチープな演出なのか、脚本なのか、色恋なのか、何かと盛り上がりに欠ける。
惜しい!
B級映画ばかり撮っていたランス・コンフォート監督晩年の作品。可もなく不可もない低予算吸血鬼映画。

主人公が吸血鬼シニストレ(シニスター)の存在に辿り着くまでが長く、何度も必要のない脱線をするため、話がごちゃごちゃしていて分かりにくい。演出がどうにも地味で、冗長過ぎる話にアクセントを加える為か、ジャンプスケアを一回挟むのもまた陳腐。ヒロインが出てきたのは良いのだが、主人公との絡みがほとんど無いまま吸血鬼に魅入られてしまい、関係性を深く描けないまま物語が進行してしまう為、助ける動機もだいぶ弱い。総じて脚本が散漫で、印象の乏しい映画だった。

1960年代イギリスといえばハマー・フィルム全盛だが、本作はプラネット・フィルムという聞いた事のない製作・配給会社で、ハマー同様1960~1970年代に活動していたようだが、その後杏として消息が知れない。

吸血鬼映画ではあるが、シニストレはドラキュラ伯爵のように歯が尖っているという事もなく、夕暮れ時ぐらいには普通に現れている上、演じるユベール・ノエルの顔貌がつやつやした卵型、ナポレオン・ソロ系の顔立ちなので、優美さは備えているもののクリストファー・リーのようなおどろおどろしさや野卑な迫力に乏しい。

「実は関係者の大半がカルト教団の仲間でした」という展開は若干ギャグ味すら感じるものの、この人もカルトでした!という怖さと得体の知れなさは正直吸血鬼的ホラーよりも肉薄する。

例によってB級映画なので、「2001年宇宙の旅」でヘイウッド博士を演じたウィリアム・シルベスターがかろうじて見た事がある程度で、ほとんど見た憶えも聞いた憶えもない俳優ばかりだった。
タニア役のキャロル・グレイは頬骨の上がったエキゾチックな風貌だが別にジプシーとかではなく、普通にイギリス系南アフリカ人らしい。最初のジプシーのシーンはいかにもステレオタイプだけど悪くなかった。
シニスター氏、いざ血を吸おうとするとメチャメチャ女に暴れられる。優男なので、強引に抱きかかえた様がひどく不安定で大丈夫かなとこっちが心配になる。プレイボーイにしては計画段取りが甘い。嫁と新しい嫁候補の三角関係、人間味があっていいのか悪いのか。絵筆を嗜む吸血鬼というのも珍しい。吸血鬼も血のことばかり考えて生きてはいけない、教養を身につけて口説かないと。しかし嫁さん獲得には少々遠回りな気もする。何のためにある吸血鬼の特殊能力か。好色そうな目つきや過度の異国訛りがそうだが、ここでの貴族的優雅さ異教的妖しさの表現が奇矯から滑稽に繋がって、ユベール・ノエルが真面目に取り組めば取り組むほど、悲劇(喜劇)が拡大していく。シニスター氏以外の登場人物も、何でこんな手間のかかることをやってるんだろうと不思議に思う場面が多々あり、つくり手の思惑とは違う方向で奇妙な世界が広がっている。恐怖映画としては、田舎限定で展開したほうが、無意味なメダリオン探しがなくて映画が締まっただろう。

ひっくり返った宝石箱に十字架が入っている都合の良さに驚くが、これはコメディではない。残酷なことに、笑いを取りに来た部分は見事なくらい外している。表現が馬鹿げていても、不真面目な創作というわけではない。真面目さのピント調節が壊れているのだ。そこに映画を最後まで付き合わさせる、キャンプな魅力があるのも事実だ。