デニロ

みな殺しの霊歌のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

みな殺しの霊歌(1968年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

事件担当の刑事が、自分の妹が輪姦されたらその男たちをぶち殺すが、その被害者が弟だったら、また話は別だ、という。少年を輪姦した女のひとりは、少年だって楽しんだんだから恨まれる覚えはないわよ、という。

事件とは、少年と同郷というだけの関係の男が、その少年が凌辱されたことに義憤を抱き、女たちを次々に犯した上に殺してしまうというものだ。みな殺し、とはよくも付けたものだ。

男でも女でも自由を奪われ、意思に反する行為を強要される覚えはない。本作では少年が自由を奪われ、性的に蹂躙される。刑事のいう弟だったら話は別だ、という感慨は、輪姦した女の言を補強するものではないのか。自由を奪う権利など誰にもないことは自明のはずなのに。男は女と性的に交わるに、その状況、機会に関係なく満足するはずだ、というのはファンタジーだ。もちろんこの作者はそのことを承知で描いている。

また、女をみな殺しにした男の義憤というやつも転倒した行為である。殺された女たちの、生きていれば得られるはずの生活や楽しみを奪うことはできないし、その親兄弟姉妹夫子などが彼女と一緒に居ることにより得られる感情を奪うこともできない。

が、妹が凌辱されたらその犯人どもをぶち殺す、という先の刑事の思いをこの男は実践したまでであって、先の刑事は、いや、わたしはこの男に共感できるのだろうか、と問いかけられているようにも思う。

加藤泰の鉈で叩き切るような演出が、殺人者佐藤充の風貌と相まって異様な主題を持った作品になってしまった。

1968年製作。脚本三村晴彦 。監督加藤泰。
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