このレビューはネタバレを含みます
ピューリタンといえば、「神の存在を自覚した経験」つまり「回心」を重視するわけだけれど、7年も逃げていない主人公は、蔑まれながらも自らの愛を貫く自分の姿に、一種の宗教的恍惚を感じていたんじゃないか。聖書に従ってないだけで、それもある意味で回心なわけで。
もう一つこの映画の中で象徴的な回心のシーンは、自らの罪に鬱屈とした感情を募らせる牧師が、出港の前に自らの罪を告白するシーンだが、それを罪と呼ぶこと自体が主人公から見れば「アタシと神様どっちが好きなの!!」って話なので捨てられても仕方ないか。
この映画は、あまり自然を移さないので、宗教にふれつつもあまり、「神」を描くつもりはないような気がする。
この映画における宗教的恍惚ってのは、あくまで一人間の精神作用でしかないのかも。
もう一人の狂人あつかいの女性は、主人公がフェミニストとはまた別の存在であることを示しているのか?