【ああ苦情】
いやーしんどかった。何度も時計見ちゃった。
歌唱力への不満と、演出手法に馴染めなかったことが大きいです。物語の扱いへの不満もありますが、歌そのものの力に圧倒されていれば多分、気にはならなかった。
後で『25周年コンサート』という舞台の方のDVDを見たら、お話は映画版よりダイジェストなのに、割と呑み込めましたので。因みに舞台は未見です。
まず歌唱力ですが唯一、エポニーヌ役サマンサ・バークスさんが、声のグラデーションが他の人と全く違い、もっと聞きたいと思いました。彼女は舞台にも出ていたんですね。『25周年コン』を見て、すごく納得。
やっぱり歌は、巧いとか綺麗なだけじゃダメなんだって実感しました。あちらはコンサートなので、DVDの画はアフレコの収録風景みたいでしたが、歌の力だけでかなり魅力的で、映画版に足りないものが溢れていました。
これだけ一線の役者さんを揃えれば、その分歌唱力が落ちるのはわかります。そこをフォローする画の面白さが欲しいのに、アップで延々歌うばかりとは。
で、人物はカメラ目線にはなりませんが、この演出が続くと作中にではなく、こちらに直接歌っているように思え、俺は観客だった、と我に返ってしまう。
画面の丹下段平に直接、面と向かって立つんだジョー!と叫ばれるみたいな。おっつぁん相手が違うよ…と萎え始め、やがてプチ苦行となりました。
で、映画におけるミュージカルは、手法でなくそれ自体がショーでないと、自分にはキツイんだな…という、自身の価値観が改めて知れました。リアルなドラマ演出で台詞が歌、という仕様だと、隙があるとすぐ冷める。歌でない台詞が挟まれると、途端に空気漏れのようで膝カックンされました。
例えば『シェルブールの雨傘』のように、言葉は徹底して歌にするとか。或いは各曲を独立したPVのように演出するとか、工夫があれば多分乗れた。ドラマから歌への流れが悪い意味でシームレスで、殆ど弾かれてしまう。
冷めちゃうと、今歌ってる場合じゃないだろ、そんな大声じゃバレんだろ、あんたはサトラレか!…みたいなツッコミ魂が湧いてしまい困りました。
等、あまり良い体験ではなかったのですが、アマンダ・サイフリッドさんは、本作での姿は眼福でした。変に演技せず、素朴なお人形さん的佇まいだと、すごくいいんだな…と、彼女の魅力を再発見できました。
あと私的に、H・B・カーターさんの濃さ!『英国王のスピーチ』で久しぶりに、まともな女性を演じてホッとしていたのに、またまたストレンジな役回り!この先がたいへん楽しく思いやられます(笑)。
<2013.1.7記>