くりふ

駆ける少年のくりふのレビュー・感想・評価

駆ける少年(1984年製作の映画)
4.0
【飛びたい踵】

年末に、ささやかながら楽しい体験となりました。

劇場行ったらまず、親日家であるナデリ監督が構えていて、パンフ買うとサイン入れて手渡し。顔は怖いけど(笑)。

作り手としてこの姿勢は諸刃の剣だと思いますが、作品とその制作過程を知り始めると、愛すべき強引さだな…と納得しちゃいますね。求められ即席感想も出しまして。

で、後から改めて思ったこと…

まいにちが、じぶんとの、きょうそうなんだ。

まず、み終えてから知った、このキャッチコピーが中々よいと思った。パンフに寄稿された、新藤悦子さんの文章から抜粋したようですね。「かちたいあいては、じぶんなんだ。」と結ばれる、その新藤エッセイは、物語も的確に要約し、巧く、読み終えたら書くことなくなっちゃった(笑)。

蛇足を承知で、それでも幾つか記してみます。

天涯孤独で、廃船でヒヨコと暮らす、11歳アミル少年のパワフルな毎日。廃品回収などでやっとの生計をたてる彼は、ここではないどこかに行きたい。

だから自然に、船や飛行機に憧れる。大声で、連れてってと叫び続ける…。冒頭、地べたを延々走るしかない彼の踵が、水溜りで跳ね上げる飛沫にまず、心掴まれました(笑)。で、廃棄場でゴミ拾いをする彼が、目の前を横切る、場違いに映る山羊の群れに、へちゃっと笑顔を見せた辺りで完全にシンクロ。

その後は、むき出しの少年力(=野生力)に眩しく引き込まれるばかりでした。

一度表に顕れてしまったエネルギーは、燃やし尽くさないと消えようがない。だから、走り始めた訳を忘れてしまっても、アミル少年たちは止まらない。この迸りがずっと自然に湧き続け、虚構って枠はどうでもよくなってきます。

とにかく、自然、なんですこの映画。これはとても貴重なことだと思います。

そして、汲めども尽きぬ少年力は、少年祭、とも見える、ある祝祭的爆発でとんでもない処へジャンプしますが、止めようがないから、不自然な映画的描写で食い止めた…フィルムにはかろうじて定着させた…というような、幸福な諦めのようにも受け取れます。

冒頭の飛沫が変化し、ここでは少年の意思として激しく散るのも凄くいい。パンフに、あの天然ガス田には撮影で勝手に火をつけた、と書かれていて、驚いちゃいましたけどね。やっぱり元は、監督の止まらぬエネルギーなのか。作品の外側からみてみると、また味わい深くなりますね。

パンフには、深い情報はありませんでしたが、上記シーンで演出する監督の写真が載っていて、これが見たまんま、アブナイおっさん(笑)。

本作はとても自然ですが、その裏にはやっぱり狂気が潜んでいると思う。2週間の約束で借りた少年たちを、3ヶ月撮影につき合わせたそうですが、始めっからそうなるとわかっていて、嘘ついてたそうです。誘拐だよ(笑)。

監督の自伝的映画で、殆どが体験談だそうですが、アミル少年と違うのは、監督はこの歳、映画館に入り浸り、もう映画という目標を持っていたそうで、きっと、他からは狂気とも映る行動を、既に始めていたのでしょうね。

本作がいい具合に自然なのは、映画という要素が抜けているせいかも。少年力の行き先に、観客が想像できる余白が出ていて、風通しがいいですね。

単純に、イランの様々な表情が見られる楽しみも大きいです。先の山羊とか。聞こえてくる挿入歌が、殆どアメリカン・ポップスというのは少し切ない。

女の子が全く出てこないのが気になりましたが、規制の問題が大きいのかな。

貴重な機会なので、もう一度くらい、劇場に行きたいですね。そうすれば、もう少しまともにまとまった感想書けそうな気もする(苦笑)。そして、もし英語で感想をまとめられたら、監督に直接、手渡したいな。

<2012.12.31記>
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