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塀の中のジュリアス・シーザーのodyssのレビュー・感想・評価

2.5
【イタリアの刑務所はデラックス】

期待して見たのですが、うーん、イマイチかな、というところでした。

囚人がシェイクスピアの演劇に挑むというのは、材料的には面白そうなんですよね。

まず、囚人としての日頃の生活と、演劇の練習をするということのギャップ。イタリアの囚人が日頃どういう生活を送っているのか、当然ながら私は知りません。日本なら例えばシャバに出たときに役立つようにと実用的な技術を身につけるとか、その技術を使って多少の仕事をして安いながらお金ももらい、それを貯めればやはりシャバに出たときにまともな生活を送る足しになるとか、まあそういうことがあるわけです。イタリアの刑務所では日頃は何をやっているのでしょうか。それが、この映画からは見えてきません。

ただ最後に、演劇の本番を終えて元通りの刑務所内の部屋に戻りますけど、部屋を見て、うーん、結構デラックスじゃん、と感心。
日本の刑務所だとたしか三畳敷きの和室ですよね。無論、ワタシ自身が入って知ってるわけじゃないですよ(笑)。刑務所を描いた映画(例えば名張毒ぶどう酒事件を扱った『約束』)を見て知っているのですけど。

この映画を見ると、イタリアの刑務所の部屋って、日本のビジネスホテルよりよほど広いし、快適そうです。これじゃ、刑務所から出たくなくなるんじゃないか、と邪推してしまいました。

そもそもこの映画、ヨーロッパのドキュメンタリーにありがちなことで、説明があまりないんです。だから、例えば演劇に打ち込めば更正の役に立つことがデータ上明らかであるのかどうかとか、そういう解説が全然ないので、演劇がどういう方面にいい影響を及ぼしているのか、理解できないのです。たしかに、最後に出演者の一部は刑期を短縮してもらって出所し、演劇方面で仕事をしているとありましたけれど、どの程度の囚人がそういうプラスの何かを得ているのでしょうね。

それから、途中の練習のシーンでも、演出家の指導がどの程度なされているか、よく分からない。この映画自体が一種の演出の産物でしょうから、ドキュメンタリーとしてだけ見るのは作品の本質からはずれているのかも知れませんけれど、でも完全なフィクションでもないわけだから、その辺、ちゃんと分かるようにしてくれないと観客としては満足できないんですよね。

たしかに、シーザーを殺した反シーザー派の罪、そしてそれを大衆の前で巧みに告発するアントニーのシーンは迫力があるし、またそれは、何らかの罪を犯して刑務所に入れられて、そしてここでシェイクスピア劇を演じている囚人たちの姿にどこか重なります。演劇としてのこの映画の迫力はそこからも来ている。でも、それだけじゃ物足りないなと、私は思ったのでした。
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