囚人13号

カリフォルニア・ドールズの囚人13号のネタバレレビュー・内容・結末

カリフォルニア・ドールズ(1981年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

はした金のため傷だらけになってもプロモーター共は試合を芸(Show)と呼ぶ。
雪が降るなか夏にまたと断られる絶望感、チャンピオンとノンタイトルでの試合後ドールズのガウンが赤色なのに対してピーター・フォークはチャンピオンと同じ緑色のセーターを着ていることは関係性の崩壊を予感させる。試合は第一にプロモーターの金、第二にマネージャーと選手、勝敗は二の次でしかないという勝負<商売であるこの世界に尚しがみつく三人はそれぞれに考えが食い違う。カーニバルにおける文字通りの泥仕合でプロレスラーの仕事はリングで笑わすことだと叫ぶピーター・フォークの台詞は象徴的。

車に乗っているときの関係性はそっくりそのまま、二人の恋人同士と後部座席のブロンドという形で還元されているが男女2:1の図式は普通の映画では歪な三角関係となるものの、プロレスとなるとピーター・フォークの恋人ローレン・ランドンにとってブロンドのヴィッキー・フレデリックは試合においての(もちろん旅においてもだが)パートナーである。
車の助手席に乗っている彼女の姿が何度か反復された後に二人の関係が明かされるのだから我々はやっぱりと納得するわけだが、しかし後ろのブロンド女とは何も無いのかというと決してそうでもないと思う。無垢な少女のようなイメージの強い彼女であるが敢えて描写されてないだけで、その仄めかしは宿泊先にフォークが部屋に呼んでいるブロンド女であり、ランドンに好みが変わった?と煽られるシーンは一瞬その二人でいたのかと勘違いしてしまうほど。

しかしそんな卑猥な客らへの晒し者に過ぎなかった彼女らの肉体が今や群衆の歓呼を一身に受けていつかの回転エビ固めを決める、あのシーンを目にして泣かずにはいられない。ラストの感涙は一人で観てて本当に良かったと思う。『ロンゲスト・ヤード』然り傍観者たちの熱狂と最後の一分まで試合を捨てない泥臭さに没入したが、対戦相手もヒールでありながら最後のノーサイドに一段と清々しさを感じ、何より彼女らが黒人であることと敵であることが全く無関係なのが美しい。憎むべき権力に実力が勝利する瞬間の素晴らしさ、それを目にして流れる涙は恐らく人生トップクラスの充足感。

そして何よりこんな大傑作を遺して去っていくアルドリッチの憎らしさたるや!
囚人13号

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