けー

アフター・アースのけーのネタバレレビュー・内容・結末

アフター・アース(2013年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

いい意味で課題図書の児童文学テイストな感じ。

あんまり面白くないなぁと思いながらみていたら、涙腺直撃くらって泣いてしまった。


2025年、人類は住めなくなった地球を脱出してノヴァ・プライムという惑星に移住。
しかしそこには先住民がいて、先住民は移民してきた人類を抹殺するために恐怖心を感知して人を殺す巨大生物アーサを放つ。

サイファは恐怖心を消し、アーサから完全に身を隠すことのできるゴーストという術を体得したレンジャーで数多くの伝説を残してきた。

家族との時間を持ちたいと引退を決めたサイファは最後の任務に向かうが、妻に頼まれ息子のキタイを一緒につれていく。

ところが宇宙船が小惑星群に巻き込まれた破損、不時着を余儀なくされる。


アーサに対抗するには恐怖心を完全に消す、またはコントロールすることというのが、BLMとそのままリンクして、「ああ、そういうことだよな」と見ながらいろいろ思いを馳せてしまった。

“今自分が感じている恐怖”とは何か?
その恐怖をどう対処すればいいのかということなどなど。

キタイが困難を乗り越え、一人で救難信号のある場所にたどり着けるかどうかというだけの話なのでストーリーを把握しなきゃという忙しさがなかったせいか、メタファーによって提示される「恐怖」に触発される感じで、これまで黒人の人たちが味わってきた辛酸とかそういうことにおもいっきり思いをはせたり考えたり。

まぁ映画自体は退屈だったりもするところもあるのだけれど。

瀕死の重傷を負って動けないけれども息子をモニターで見守るサイファの姿が、ジョージ・フロイドさんや警官に首で膝を押さえつけられたり、警棒で圧迫されたりして亡くなった黒人の人たちのことと重なって、遠ざかる意識の中で家族を思ったりしたんだろうなとかそういうことをめちゃくちゃ連想してしまってつらくなってしまった。

「ゴースト」の使い手が気持ちを落ち着かせる姿勢が片膝をつく姿勢というところから、そう連想してしまったのかなという気もするのだけれど。

見始めた時は自分の息子を見守る父親の気持ちが、自分の息子と共演しているウィル・スミスとすごく重なっている感じだよなぁって思っていたのが、いつの間にかBLMで「Say her/his name」であがっている人たちのことにスイッチしていって。「家族の元に帰りたかっただろうな」とそんなことを思わずにはいられなくなってしまった。

キタイが最大のピンチにみまわれた時、それが旅の途中で卵と雛を失った巨大な母鳥だったというところで涙腺をやられまして自分でもびっくりですわ。

予期していなかったせいなのかやられてしまった。

子供を守りたいという母鳥の思いが、命と引き換えにキタイの命をすくったわけだけれど、なんだかそれがとにもかくにもたまらなかった。

映画の中の動物たちはすべてCGだけど、それぞれの動物たちがどれほど家族や仲間を思っているか「ワイルドライフ」やその他動物関係ドキュメンタリーでみるたびに、乱獲で大量に殺された動物たちもどんなに辛かっただろうかとか思ってまた泣けて。

キタイがついにゴーストを会得する場面では「ああ次世代にしっかりと引き継がれたんだな」とデンゼル先生みたいにウィル・スミスも次世代に繋ごうとしているんだなとかそんなことを思って。

それだけにラストも気持ちよく。


エンドロールで監督がナイト・シャマランと知ってちょっと驚いた。

なんとなく”こけおどし”が十八番な監督のイメージがあったので。
まぁ、作品の予告だけの印象で思い込んでいたけれども。

そういえば「シックス・センス」も家族を思う心をビシバシに張り巡らせてあったし、もともとこういう監督なんだなぁと。

で、まぁ評価は悪いだろうなぁという予測はしていたものの、検索かけて一番最初に目に飛び込んできた話題が、ウィル・スミスが大失敗だったと嘆いて自分のキャリアを見つめ直したという話だったので「えええーそうなの?」と驚いたり。映画へのバッシングに息子を巻き込んでしまったことが応えたみたいで。

そのあとでウィル・スミスが元々ラッパーだったと知って驚く。てっきりスタンダップ・コメディ畑のひとだと。
ラッパーっていうイメージ全然なかった。
このひとも多才な人だなぁ。
BLMのメッセージ性がビシバシに伝わってきたのも妙に納得。
けー

けー