ノットステア

そして父になるのノットステアのレビュー・感想・評価

そして父になる(2013年製作の映画)
4.2
子どもが可哀想だと感じる映画。家族について考えさせられる映画。

以下、ネタバレありです。







役名だと私がこんがらがるので、役者名で書きます。子どもだけは名前を覚えたんだけど、、、

野々宮良多(福山雅治)
野々宮みどり(尾野真千子)…福山雅治の妻
野々宮慶多(二宮慶多)…福山雅治の血の繋がらない子
斎木ゆかり(真木よう子)
斎木雄大(リリー・フランキー)…真木よう子の旦那で電気屋さん。壊れた玩具を直せる。
斎木琉晴(黄升炫)…福山雅治の実の子
野々宮のぶ子(風吹ジュン)…福山雅治の義理の母
野々宮良輔(夏八木勲)…福山雅治の父
野々宮大輔(高橋和也)…福山雅治の兄弟



福山雅治が劇中で関わる人々が、多様な家族のあり方を示している。いろんな家族の対比によって、「子どもの取り違え」「血の繋がりのある家族と血の繋がらない家族」について考えさせられる。
このように書くと、「考えさせますよ!」という感があるが、映画を観ているときは何の違和感もなく鑑賞できた。なんでだろう。


【息子と血の繋がらない看護師家族との対比】
血の繋がりがあるのに琉晴と仲良くなれない自分(福山雅治)⇔罪(わざと赤ちゃんを取り違えた)を犯したのに義理の息子から守られる母親(看護師)対比。
看護師の息子「俺のお母さんだもん」


【福山雅治の実家との対比】
福山雅治は母親と血の繋がりがない。福山雅治は幼少期に家出してお母さんを探しに行った。
風吹ジュン「血は繋がっていなくても関係ない。私はそういうつもりであなたたちを育てたんだけどな〜」
夏八木勲「血が繋がっていれば、自然に似てくる」
風吹ジュンに電話してお母さんと言わなかったことを福山雅治は謝ろうとする。のぶこは遮って「もう昔の事は忘れたわぁ」と言う。
ちなみに福山雅治はこうも言っている。「おかしいと思ったんだよ。慶多は…」慶多の能力が自分の理想とは違うことを血のせいにしている。しかし、血の繋がりを重視することは嫌いな父親(夏八木勲)と同じということ。嫌ってる父親(夏八木勲)と同じ考え方をしているっていう自覚も福山雅治にはあった。矛盾してるのはわかってるし、自分が間違えてるというか正しくないってことも自覚してるけど、止まれない感じ。


【リリー・フランキー一家との対比】
金持ちと貧乏、父親が子育てに関わる度合い、子供と過ごす時間の違い。



自分のDNAを残したい。自分の血を持った子どもと暮らしたい人もいるだろうし。
血の繋がりよりも一緒に過ごした 時間を大切にしたいと思う人もいるだろうし。
けど、劇中では、交換するのが多数派で過去の事例では100%血の繋がりを選んできた、とあった。
自分の血を持ってないって分かった瞬間に福山雅治が慶多のことを見る目が明らかに変わってた。あからさますぎると思った。大人だろ。子どもを見る目ではない。
交換するに至った動機、経緯ももう少し欲しかった。リリーフランキー側は交換する気持ちとかなさそうだったのに。


典型的な設定でわかりやすい。
福山雅治は大企業に務めていて、高級なマンションに住んでいる。
大企業=仕事が大変で家のことに目を向けられない。
大企業=自分の遺伝子を残したい。自分の子は優秀でないといけない。これも典型的じゃないかと思う。そうでない人がいるのに、そういうイメージを持ちやすい。
自分で言っといてなんだけど、福山雅治の父にも問題があったから、「大企業だから」というだけではないけれど。


リリー・フランキーも真木よう子も尾野真千子も福山雅治もマトモというか普通だとは思う。でも全員何かしら足りてない感じ。
映画の中で孤立していくから福山雅治が一番マトモではないように見えるけど。
リリーさんもなんかだらしなくて嫌だった。
尾野真千子は夫婦なのに福山雅治に物を言えないところはあるし、仕事を辞めてしまったことで自信なくしてるし。尾野真千子の、人の目を意識してる描写が印象的だった。それが駄目ってわけでもないし、私も気にしちゃうけど。


慶多と琉晴を交換している描写も重かった。
慶多と比べると琉晴は福山雅治の理想から遠かった。ピアノがんがんされて苛立つ気持ちは共感できた。「なんで?なんで?」って聞いてくる琉晴のことをうるさいとも思ったし、理由なんて納得できる説明できないのもわかるし、琉晴に否はあるわけがないし、福山雅治が悪いわけでもないし。
対して、リリー家は慶多が来てもあまり嫌な顔はしていなかった。たとえ琉晴のようにうるさい子が来ても嫌な顔はしなかったんだろうな。
慶多が福山雅治の写真を撮ってたってことがわかったときは感動した。というか悲しくなった。福山雅治が慶多をしっかりと見ていなかったということが突き付けられるシーンでもあるし、慶多が可哀そうだという気持ちが強くなるシーンだから。福山雅治のあの涙は心に来た。
ホテルのようなマンションでキャンプして釣りごっこして、戦いごっこをして琉晴と福山雅治は楽しんだ。それでも琉晴はママ(真木よう子)たちに会いたいって言った。
琉晴は、「ママに会いたい」って何度も言ってるけど、慶多がリリー・フランキーの家で何か発言するシーンが少なかった。真木よう子に抱きしめられるシーンはあったけど。
慶多は二人の父親(福山雅治とリリー・フランキー)のことをどう思っていたのか。
※琉晴が、福山家に来る前に、リリー・フランキーたちからなんて言われてたのかもわからない。
※慶多はミッションだと言われて交換された。(ミッションって都合のいい言葉だな。)


ラストシーンも考えさせられる。
福山雅治の考え方が変わり、いい人・いい父親になっていったけど、慶多をすぐに抱きしめちゃって自己中感があった。
福山雅治から逃げつつも、慶多も福山雅治たちの家に戻りたかったのか。なぜ逃げたのか。
それは福山が対応を変えたりしたから?
交換が決まる時点で既に、慶多と一緒に過ごした時間がリリー・フランキーの方が長いから?父親からの愛情はリリー・フランキー家でのほうが感じられるから?

慶多にどっちの家で暮らしたいか聞く描写が観てみたかった。でもその質問はなんか残酷か。もしあの場に私がいたら、どっちで暮らしたいか聞いちゃうと思うけど、聞きながら後悔もすると思う。
まあでもあのエンドシーンで良かった。


血の繋がりも時間のどっちが大切かなんて選べるものではない。けれど、「どっちも」が当たり前なのに、この映画ではどっちかを選ばないといけない。
体外受精とか、精子バンクとか、養子とかも当たり前だし、それに子持ちで再婚も当たり前だし。
置かれた状況によって考え方は変わるよなと思った。(浅い感想だけど)