このレビューはネタバレを含みます
下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり。
または、胡蝶の夢。
誰もが自分という人間や人生を否が応でも演じている。様々な関係や偶然から人と出会い、別れ、仕事をしている。
これは言わば世にも奇妙な物語のような話だ。
いくつもの人生を演じ、それを見ている観客と、それに合わせて演じる役者を相対化して描いている。だが、当然ニュートラルのはずのシーンもリムジンの中という特殊な空間の中で描くことで、一見すると役者の素顔という側面まで描くことになる。
ニュートラルな素顔、これが物語の終盤に非現実と現実の境目を取っ払い、さらに曖昧なものにさせる。
年齢不詳の老人はリムジンで着替え、変装しそれぞれの「アポ」をこなしていく。
手始めに物乞いの真似をして、缶にチップを求める。老いさらばえても生きていかないといけない苦痛を口にしながら。皮肉だ。彼はリムジンに乗っている。誰が見向きもしなくても構わない人間なのだ。
次いでゲームの世界のようなバーチャル空間をモチーフにした施設。そこではとても老人とは思えないアクロバティックな動きをして、ゲームの世界に入り込んだかのように、動きまわる。
そうかと思えば、モジモジくんのような格好した女とバーチャル空間でのバーチャルな交わりを行う。
次の瞬間にはゴジラのテーマ曲が流れる中、狂人のマネをして撮影会をやっていたカメラマンの助手の指を噛みちぎり、モデルの美人を誘拐する。
そのモデルに手を出すわけでもなく全裸で膝枕をして、その物語を終える。その間モデルは動きもしない。
幼い娘との取り留めのない会話、音楽隊の行進、市場での殺人、銀行員の殺害、娘との臨終、唐突に始まるミュージカル。
見せられるのは、パズルのようにバラバラになったアイディアや出来事。これが「アポ」の内容なのだとしたら、この「アポ」がもたらすものとは?
ある女とのあるロマンスの後、女はその彼氏らしき男と飛び降り自殺する。
彼はリムジンの中で、その悲劇に蝕まれる。
そして家に帰ると、チンパンジーが出迎える。とてもその大きなリムジンが似つかないこじんまりとした家の中に帰っていく。
そしてリムジンはホーリーモーターズに帰っていく。大量のリムジンと共に。運転手兼秘書は仮面を付けて去る。彼女は仕事を終え新たな仮面を付けたのだ。
すると今度はリムジンたちの会話が始まる。
そう、リムジンは現実と役者との境だったはずなのに、物語化されることで物語に内在されるのである。構造的には内と外との境界であったリムジンは、ホーリーモーターズという題名に落ち着くことで、物語化され収斂する。
まさに胡蝶の夢だ。