阪本嘉一好子

レーズン・イン・ザ・サンの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

レーズン・イン・ザ・サン(1961年製作の映画)
5.0
この映画はジムクロ法時代の映画で、差別の中で生きているある家族に焦点を当てて書かれた劇だ。私は何度もこれを観ているが、レビューを書く機会がなかったから、書いてみる。それに、傑作なのにだれもレビューを書いていないから。

シカゴに住むウォオーター(シドニー・ポワチエ)の怒りは抑制できない何かがある。父親の死によって、運転手として稼がなきゃいけない?今35歳で、結婚を早くして、小学生の子供がいる。妹は医者になるために大学に通っていて、彼とは全く違った人生を歩んでいる。彼は、雇用主に『はい、わかりました。』『はい、はい、』と犬のようにいうことを聞いて、雇用主の車の掃除をして、運転しているだけ。彼にとって人生に満足感など一つもない。自分がやりたいことがあっても、思ったようには生きられない時代だっだし、その時代に生きてきたから学歴も職歴もつけてない。妹は黒人の大学separate but equalで教育を受けて、医者になるという望みがある。かれの一つの望みは酒屋のライセンスをとって、経営者になることで、ハイハイといって、使われている人生から抜け出て、息子にも何かしてあげられるし、息子にも『親の見本(?)』を見せることができると思っている。

ウォオーターの怒り、自分に対する怒り、家族全員にぶちまけている。これを理解してあげられるのは母親リナと伴侶ルース。ウォオーターの父親が交通事故で他界して、賠償金が1万ドル入る。これを息子のウォーターは酒屋を持つために使いたい。彼のお金じゃないのだが、自分も使える気持ちでいる。キリスト教の母親は、酒屋なんて、考えられないから反対。

ウォオーターの妹は母親の前で神を冒涜する。リベラルな全く価値観が違っているルースにとって、神の存在は架空の虚言。しかし、神の冒涜に対して、母親は、この家にいる限りこの家に神は存在すると娘に言わせる。すごく迫力のあるシーンだ。

新しく生まれてくる赤ん坊を堕胎するため、五ドルをすでにはらい込んだ妻、ルース。貧しくも、子供を育てようと言えない、ウォーター。自分のことしか考えられない。そんな息子を愛している母親、リナ。

何度か観ているが、いつも公民権運動前の有色人種が差別されていた『平等であるが分離しているseparate but equal』『ジム クロウ法』の時代をどういきたかの家族の話だと考えていた。それもそうなんだが、今回、初めて気づいたのが『許し』だということだ。家族が兄の過ちを許すというだいじなことに気がついた。命と引き換えの1万ドルの慰謝料の中、家の頭金を除いて6500ドルも他人に持ち逃げされてしまった。この迂闊なウォーターの誤りはこの家庭にとって取り返しがつくものではない。妹の医者の費用までなくなってしまったのだから。母親も苦しみながら息子を許すところが強烈。最後のシーンで、ウォーターは息子トラビスの前で、なにが善かを教える。


 これはローレンハンスベリー脚本のブロードウェイの劇1959年がオリジナル