小便小僧

高瀬舟の小便小僧のレビュー・感想・評価

高瀬舟(1988年製作の映画)
3.1
原作とはかなり異なっている。
まず、喜助が非常に快活。鴎外のテキストで語られる、「痩肉の、青白い喜助の顔」とは大きく異なる。おにぎりも食べればよく喋るしよく笑う。どことなく幽玄で不気味な喜助はいない。
次に、近所のおばあさん。おばあさんは元々事件の目撃者でしかなかったが、冒頭から喜助の無罪を陳情する人物として現れる。それは、事件の一部始終ではなく、全てを見ていたからである。目撃者がいるにもかかわらず、奉行所が有罪とした、と考えるのであれば、原作よりも、観客は奉行所への疑いを禁じえない。
最後に、喜助の弟の人物造形。名前が与えられているだけでなく、働けなくなった原因を屋根から落ちて半身不随になったことへ求めている。原作では病としか記されていないところを怪我による障害へと変えたことから、自分で動くことはできても不都合が生じる人物へと変えられている。「治る病気ならまだしも、足が治らないなら死ぬしかない」に象徴されるように、自死の動機は兄に稼がせて申し訳ないという思いから、障害をもつ弟の自己の問題へとすり替えられている。
作品が1988年の発表であることを踏まえると、同時代的な障害者表象・議論との交差を見てみたいところ。
小便小僧

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