Fujisan

言の葉の庭のFujisanのネタバレレビュー・内容・結末

言の葉の庭(2013年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

何故、新海誠さんが「言の葉の庭」という題名をこの作品に付けたかという意図を知るために、私は2度この映画を観た。

そして、私は27歳の頃って?と大人の階段を登り始めた頃の心情を懐かしく思い出した。しかも、古典の教師という立場から、文芸という学問を天職とする女性な訳だから、それはそれは、日本の現代社会の男性達が想像を絶するほど、"言の葉"に敏感だったのだろう。然し乍ら、万葉集の時代に生きた男性に会えたとしたらば、話は別だったかもしれない。ユキノも、そんな万葉の世に出て来る素敵な男性との出逢いを夢見ていたに違いない…。

そんな時、職場でのトラブルに巻き込まれ、生きる場所が無くなってしまっていたユキノは、15歳のタカオという真面目で純真で、家庭の事情から人に気遣いの出来る頑張り屋の青年に出逢ったのだ。これは"運命の出逢い"というのとはちょっと違い、正に"雨やどり"だったのだろう。
そんなユキノの複雑な辛さを知る由もなく、ただ出逢ってしまったタカオ。
可愛そうだが、15歳には、解るまい。
多分、母親の心も解らない子供(まだ大人の女性の心の痛みが理解出来ないだろう子供 )だろうから、タカオから見るユキノは、母親と同じような存在となるだろう。「訳わかんないよ」そんな感じだろう。好きという感情が、年齢差ゆえに何かモヤモヤとちょっと違っていて、タカオから好きですと告白された時に、とっさに教師として毅然と振る舞うユキノの気持ちがとてもよく解った。そして、"言の葉の庭"でタカオと会話した1つ1つの言葉を思い出して、その言葉に救われていた自分を思い出し、階段を降りて行った気持ちもとても良く解る。

されど、今の日本の社会にはユキノを最高の思い遣りと言葉で癒してくれる大人の男性は、居ないだろう。「ユキノさん、教師を辞めたら、ポ〜ンと海外に住んでみたら?まさか、万葉の世には行けないしね。」と、私が友達だったら言ってあげていたかもしれない。

純粋かつ思い遣りのある言葉で包み込んでくれる男性とは?
"言の葉の庭"正にそういうことだろう。

冒頭からとても絵が美しく、ピアノの旋律も何処か物哀しく短調で、それがまた美しく、この作品に引き込まれていく所以となった。
雨がテーマだけあり、水彩画の水の滲みを上手く使った冒頭はお洒落だった。かと思うと、現実的な生活の描写は、今度は水彩画ではなく平面構成で出来たデザイン画の様に描かれていて、ユキノとタカオの目線の先だけが水彩画で描写されているところなどは、現代社会の理不尽さと万葉の世の優雅さの対比にも見えた。

何故、靴職人を新海誠さんが選んだか?それは、現代の若者達に、"こんな世でも生産性のある仕事に就くと絶望は絶対にしないよ!"という事が言いたかったんじゃないかな?と思った。
特にタカオが、幼い頃に大好きなお母さんへのお誕生日プレゼントにみんなで買ってあげた紫の靴の描写が、何度も切なく号泣した。
若者の未来の幸せを願う、切なくそして素敵な作品だった。
Fujisan

Fujisan