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リアル 完全なる首長竜の日のJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

車内におけるスクリーン・プロセスの風景などといった黒沢清的モチーフが、「心の中の世界」という作品的な主題と結託を果たしている事に高揚感を覚えるのであって、要するに客観視された人の心の中のアンリアルは、映画というスクリーンに映し出されるアンリアルと等しい。

しかしながらその関係性は、主体の抱えるあるがままの表象としてはリアルなのであって、その点が映画それ自体としてのリアルさであるという側面を持ち合わせていると思うのです。なんせゴダールに言わせれば、〈映画とは「現実の反映」ではなく、「反映の現実」である〉のだから。

今作では、直接的に物語が語られる部分については、そのテーマ性が惜しげもなく展開されているのだけれど、極端な事を言えば、物語を構築するのはプロットではなく、画面全体であると思う。これは黒沢清作品に通底する認識なワケですが。

構図、光の明暗、ワンカットで突然写り込む事物、そして人物とそのアクション(=挙動)などといった要素が総動員となって構成される映画的空間、身も蓋もない言い方をすれば、それこそつまり黒沢清的な映画世界というものが、映画それ自体として物語を語る。

黒沢清映画を見る幸せというものは、その点にあるんじゃないかという気がしていますし、今作で描かれるアンリアル(=心の中)は、まさにそのように語られているのではないかと。

遠景で捉えられる世界の崩壊と共に、物語はその主体を反転させる。それによってこれまでのどことなくアンリアルな現実は、その通り佐藤健の心の中というアンリアルな世界であった事が明示される。

ならば、綾瀬はるかの見る現実こそがリアルなのだろうか。僕はそうでもあるし、そうでもないと思っていて、なぜなら中谷美紀が手術室で風を受けて微笑むような(アンリアルな)心象的表現が、相変わらず平然と織り込まれているから。依然としてスクリーンの中は、現実的なアンリアルという、映画的なリアルに満ち溢れているワケであります。

タイトルである『リアル』は、「映画的」という接尾辞を伴う事によって今作の、ひいては黒沢清映画の本質を言い表すキーワードになりそうな気がするのだけれど、しかし『映画的リアル』なんてタイトルの映画が売れるワケがないのであって、そういう意味ではリアルなタイトルだなあと思いました。Hey man, keep it real. ピース。
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