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V/H/S シンドロームのニューランドのレビュー・感想・評価

V/H/S シンドローム(2013年製作の映画)
3.3
☑️『V/H/S シンドローム』および『悦楽交差点』『ザ·バニシング~消失』▶️▶️
城定の半特集上映のチラシを見つけたが(個人的にはまあまあというくらいしか興味はないが、年配の文化の元締めのような方でも日本代表監督と位置づけられてる存在を、気にはしている)、仕事日とぶつかってるのが大半なので、レンタル店に行くと上映予定作品では1本しかなかった、ついでに3泊110円なので、高名作品でVHSテープ時代には観ているが画質増した筈のDVDでは未だを1本、これからの新鋭らが集合し·かつ旧世代のメディアを扱い·使いもしたオムニバス?から1本。3本が何故か、本来安定するか大人しい側に、タガが外れた狂気や世界の裏からのコントロールの力があり、それを呼び起こし·その後も怒りより惹かれ·翻弄される呑気め能動的人々を描いている。
その中でやはり興味を惹かれたのは本作『V/~』だった。確かに後の2本の方が安定度合ではかなり上なのだが、それは想定内の事。城定作品『悦楽~』は6年前の作品でまだ持ち前の滑らかさ·鋭さには至ってないが、粗い所はあっても確度·力強さは既にして一級。角度取り、視界、フィット揺れ、様々な位置と距離。だが驚きは主演のヒロイン「高嶺の花」がエッと思うくらい長澤まさみに内からも似てて(やや細身だが感情·表情の出所が同質)美しく、しかもお縄にならない悪女なのだ。安定した生活の為ならいくらでもエリートの夫に嘘をつき、幸福感溢れる巧み演技でリードしてく、自分に惚れた第3者を不満解消にもてあそび·危険も承知、自分以外の全てを見下し軽蔑している。「真実の愛?ハ?何だろう?アハハハ」 将来的な恩恵に預かれない者へは、一時を過ぎるといくらでも傷つけて平気。人のいい第三者の主人公を励ますコールガールの存在が救い。「がんばれー!」
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そして、ハリウッドリメイク版が例によってコケにされてる、VHS版発売当時から変わらぬ人気の作『~消失』。前半の明るい陽光下の幸せも儚い予感、そして事件、3年後の只内的に凍てつく文字通り漆喰の闇の中、一方のかけがえのない存在を奪った者·失った者が対峙し·人間の境界を共謀するかのように踏み外してく。夢·過去·品·旅のルートの呼応·引合いが、現在の恋人や以前よりの家族を差し置いて、表裏一体に死者を含めた3人を底無し沼に導いてゆく。(360°)回ったり、手持ち揺れ、対応丁寧、手元、場面交互等あれど、基本怖いくらいシンプルで、失ったものへの妄執は『めまい』クラスもより直に怖い。「偶然と計画」の軋轢より、当然への「逆らい」の執拗な性向が、同じ「異常」への道行きを決めてゆく。
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以上2本は、計算され完成された、感性や倫理の微細なコントロールが恐怖に至っているが、もう1本は、映像で語る事やその意味の·おぼつかなさが、あまり例のない不安と恐さ、一方で原点に還って表現してゆく事の可能性を感じさせる作品となっている。勿論21Cに入っての作品でだが、描く対象であり手段のメディアは、前世紀の解像度低くイメージの甘いアナログのホームビデオシステムのVHSである。荒っぽい·ふざけ感覚·一転緊迫状況下の設定となってるので、ホールドもルースに揺れ動き、薄暗い場多くASA?感度も低く、朧ろ不鮮明で色もモノに近づき·多くが流れてもいて、画面を引き裂くビデオノイズ発生や像一時STOP·またはブランク無映像ブルーバックが、平気でボンボン入っきて、滑らかな進行を遮る·というかそれが主調。唯一、傷口つたうぬめった赤だけが存在を確度完全に極め示してく。基本的には不良グループが押し入った館の地下に、老人の死体と·大量のVHSカセットテープを発見し、不気味その物の再生世界に侵されてゆく(若者グループが旅先の宿や自然で、外からか内からか、殺され喰われる魔物·らに遭遇·恐怖の中命を落としてく、折からの携えビデオ偶然記録ら)、という内容で、5挿話とイントロ+繋ぎで、6つの製作グループが存在してる。大小2画面で女性患者と医師のやり取りの4話めが、アナログ損傷どころではないデジタルのブロックノイズが進行を止め音声を奪い、事態が動いてるのか·のろく順行と逆行を回ってるのか、わからなくなり、これは凄いと思ったが、よく視ると単にレンタル品ソフトの不良だった、結構ハラハラしたのに。結局正しい再生不能でこのパートは判らず仕舞いだったが、プロローグ·及び3話目は、その思わぬハードの故障に迫る、表現なのか·そうなったのかわからないイメージ·事象が、他の4話がアマチュア普通に見える位に、ノイズやボケや事故だらけの映像がとめどない。プロローグは暴行·破壊·スプレー塗り·乱痴気·SEX自撮り·探索らの各場面がノー編集べースなのに張り出して交錯し·ザッピングどころではない世界の総体バランスをよりナチュラルに何故か表し、3話はノイズが掘るように傷つける様を媒体に与え·殺られる人の後ろのそこに怪物が存在するのか·強迫観念の視覚=内面傷の具現でしかないのか分からないものを示してくる。いまや捨てられた表現媒体の(実はデジタル技術使ってても)廃れたままで深めながら·理念としては拘らず流すことで得られる何かの手応え。発展はなくとも、世界の本質を探るなかで見落としてはならぬ観点を、自省的ではなく、割りとワクワク感で気づかせてくれる。最近最もインスパイアされた台湾の実験映画作家にも通じる。
当時、『クローバーフィールド』を始め、流行っていた主観カメラー撮影者の受難ドキュメントタッチ=POV映画の一本には違いなく、殆ど興味ないスタイルなのだが(観た事も殆どない)、記録·表現自体の本質の問い直しに係わってくれば、すこしは突っ込んでみたくなる。
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