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ハンナ・アーレントのこーねりあのレビュー・感想・評価

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
4.2
20世紀を代表する哲学者、ハンナ=アーレントの晩年の代表作にして最大の問題作、『エルサレムのアイヒマン』の執筆過程を主軸に、迫害の過去を乗り越え哲学に生きる彼女の生き様を描いた名作。

この映画の最大のテーマは、ハンナ=アーレントが人生をかけて追求した「悪」という概念である。

彼女は劇中で「悪」について以下のように語った。
「世界最大の悪はごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。」
彼女の言う「凡庸な悪」は悪意なきところにも生じうる。そして、それは悪意のある「悪」よりよっぽどタチが悪く、場合によっては想像を絶する残虐性を帯びるのだ。

実際、この映画の前半の山場である「アイヒマン裁判」のシーンには、当時の実際の映像が使用されており、アドルフ・アイヒマンという男がお世辞にも悪人とは呼べない平凡な人間であったことがありありと理解できるはずだ。しかし、彼は間接的ながらも600万人以上のユダヤ人を死に追いやった。そこに悪意など一切なく、ただただヒトラー命令に従ったのみであった。

彼女は言う、「凡庸な悪」が生まれるのは思考が停止した時だと。「思考停止」とは、「思考」という人間の最高の質を放棄すること、つまり、善悪や美醜の分別を放棄することと同義なのだ。そして、それこそが人類全体に対する罪なのである。アイヒマンは、保身や忠誠心から「思考停止」の状態に陥り、結果的にホロコーストを助長した。彼は人類に対して許されざる罪を犯したという意味において大罪人と言える。

結論、我々がこの映画から学ばなければならないことは二つ。一つは、誰しもが「凡庸な悪」へと落ちうること。もう一つは、その状態に陥ることから救われる唯一の方法こそが、絶えず「思考」を続けるということである。人間に生まれた以上、「思考」し続けるべきなのだ。この映画はそんな人間本来の価値を再認識させてくれる映画だった。

皆さんは、今まさに「思考停止」の状態に陥っていないと本当に言えるだろうか??この作品を通して、いま一度自分自身に投げかけてみてはいかがだろうか。
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