みやび

昼顔のみやびのレビュー・感想・評価

昼顔(1967年製作の映画)
3.0
○ルイスブニュエル について
1900年スペイン生まれ。1925年にパリへ渡り、映画界入りします。助監督等を経て1929年にサルバドールダリとともに『アンダルシアの犬』を製作。その後ハリウッド、スペイン、メキシコ、さまざまな地で映画製作を行いました。『昼顔』は1967年にフランスで撮影。ブニュエルはシュルレアリスム作家として知られていますが、メキシコ時代にはどうやらコメディやメロドラマなどあらゆるジャンルを撮影していたようです。

○時代
同時代の映画監督にジャンリュックゴダール、フランソワトリュフォーなどがいます。この時代にはアンナカリーナ、ジェーンバーキン、そして『昼顔』主演女優のカトリーヌドヌーブと、今でも大人気の往年の大女優が多数台頭しています。フランス社会としては、1968年に五月革命という学生運動が起こっています。

○『昼顔』について
ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞も受賞しており、ブニュエル作品の中で最も興行的成功を収めた映画です。初めは『昼顔』の映画化に全く乗り気でなかったブニュエルですが、結局は引き受けることになります。本編に"夢(妄想)"のシーンを挟むことで"凡作"にブニュエル氏独自のシュールな新たな解釈を加え、大ヒットしました。

○私的感想
この時代のフランス映画はとても面白いですね。ゴダール氏も大好きですし、『スローガン!』はセルジュゲンズブール氏の顔が本当に苦手で受け付けなかったんのですが、画面の美しさは芸術的で素晴らしいと思います。さてこの『昼顔』、実は日本の昼ドラ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』のタイトルの元ネタとなったということで知りました(因みに日本の昼顔は、暇つぶしにはもってこいでしたし『カラマーゾフの兄弟』で斎藤工さんに興味を持っていた私としては楽しく見られました)。名作ということですし、最近映画史を勉強するようになって重要作品ということで鑑賞することに。が、実際はそう決めはしたもののなかなか気持ちが乗る日が無く、やっとこさ重い腰を上げて観たという感じです……。というのも、私はセックスが大好きで、パートナーも大好きなのもあって(要らない情報でしたね笑)、どうしても毎回拒否される旦那さんの方に感情移入してしまうのです。私あんな風に毎回NOされたら悲しくて泣いちゃう。なんだかミョーに移入し過ぎてしまって、途中で辛くなってやっぱやーめた!となってしまっていたんです。まあ結局は最後まで観られたのでめでたしめでたしです。この映画、話の筋的には大したものじゃなくて、それこそ昼ドラみたいなくだらないようなメロドラマなのですが、名作に対して面白くなかったでーす、夢と現実がどんどんわからなくなっていくのはシュルレアリスム的でーす、で終わりだとちょっと芸がないので、少しフェミニズム的視点で考えてみます。
作中でもアンリ(旦那の友人ですね)が、「貞淑な君に興味があった」と発言しますが、基本的にいつの時代も、女性の性的積極性、性的開放性はあまり求められていないですね。そういった社会の暗黙の圧力から、そしておそらく幼い頃に性的なものに罪悪感を抱くような経験をした(キリストの聖体・パンを食べることを拒否していることから、神に背いたという罪の意識があると思われます)ことから、セヴリーヌは自分の性への欲求に対して罪の意識を持っています。そのことで性行為ができない精神状態にあるわけです。夢の中で御者に鞭打たれたり、娼館で働き始めてからも激しい行為でしか満足できないのは、「自分は罰されなければならない」という意識が働いているのです。娼館で働き始めてから次第にその意識から解放されていきます。私は、館に呼ばれ死体ごっこをして、遊びが終われば雨の中放り出されるシーンはセヴリーヌの夢の中と解釈していますが、この死体ごっこ、これには今までの自分の死のような感覚が含まれていると考えます。性的な衝動に対し罪の意識を持ち、嫌悪を抱いていたセヴリーヌ自身からの脱却。実際その後、娼館でのセヴリーヌは見違えるように堂々と生き生きしているように見えます。この、性の欲望の抑圧からの解放を経て、セヴリーヌと旦那さんの関係も、セックスを拒否している罪悪感がどんどん減って行くからか、次第に良くなって行きます。
セヴリーヌの場合は自身の過去の経験によるところも大きいですが、それにつけても社会の女性の性的欲望に対する抑圧って大問題だと思うんですよね私は……。特定のパートナーがいない時に沢山の男性と積極的に性行為を持つと非難されがちですし、アンリのように「貞淑な女性がいいなー」って人たちがわらわらいるわけです。そんなだから女性が積極的に男性を誘えないし、性的な欲求に蓋をしているうちに欲求自体なくなっていったりするわけです。そんな状況で、「でも自分と結婚したからには自分に対してはは性欲持ってほしー」とかそんなの通用しませんからね!そりゃあお偉い方々の大好きな少子化問題だって発生しますよ。女性の性欲をきちんと認めてあげれば、そんな問題もなく楽しく素敵な世界になります(余談ですが私は女性向け娼館が全然ないのって不思議に思います。女性は経済的に自立していないことが多くてお金持ってなかったからなんでしょうか)。こういう私の感性から行くと、世界は変わらないけど、抑圧の中でうまく自分を受け入れられたセヴリーヌよかったね泣、と思ってしまいます。
次、セヴリーヌの妄想について。ラスト、セヴリーヌと旦那さんは馬車に乗っていません。これは完全にセヴリーヌが自分の後ろめたさから解放されたという意味ですが、自分自身の性的欲求への抑圧からだけではありません。旦那さんを拒否しているわけですから、それこそ牛の夢で出てきたように後悔、贖罪、旦那さんに悪いなあって気持ちがあります。これが何故、ラストで解消されるのか。アンリは全てを旦那さんに話してしまったのに。ストレートに解釈すれば、娼館で働いていることを旦那さんに黙っているから、今度はその嘘をついている罪悪感を持った。それが、真実を公開したことですっかりなくなった、なのかと思います。私的にはなにそれ自分勝手〜!なんて思ってしまいますけど。そんなこと聞いたら超ショックだし、黙ってなよ!ほんと自分のことばっかりだよこの女もアンリも!って。
最後にマルセルについて。超どうでもいい内容ですけど、私はマルセル役の方の顔と雰囲気がものすごくセクシーで大好きです。ピュアなところも可愛い。靴下に穴空いてるシーンとか身分違いの恋っぽくてよかったなあ。あと娼館の、女主人の服装が地味にオシャレで好きです。


参考:
20世紀シネマパラダイス
高崎俊夫の映画アットランダム
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