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降霊 KOUREIのJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

降霊 KOUREI(1999年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

誤解を恐れずに言えば、ある意味での理不尽な状況におけるどうしようもない人間性に寄り添った、物凄く優しい映画だと思う。

風吹ジュンは霊感体質の為にファミレスでのパートも続けられないような理不尽を抱え込んで生きてきたワケだし、役所広司からすれば少女がジュラルミンケースに入り込んでいた事も偶然の累積による不運な理不尽でしかない。

彼等の行動に問題があるのは誰の目にも明らかではあるけれど、悲劇の根底には風吹ジュンの鬱屈した理不尽を夫婦で乗り越えようとした想いがある。そしてそれによってむしろ平凡な日常が崩壊してしまったという更なる理不尽に対しても、腹を括って対峙しようとするバイタルな姿勢を敢えて採択し生きていこうと決断するワケで、それら自体は理不尽に立ち向かおうとする否定しようのない人間性そのものであると僕は思うのです。

しかしながらこの映画が素晴らしいのは、役所広司にとっての理不尽そのものである少女についても、そもそも彼女だって理不尽に飲み込まれた存在なのだという視点をこそ心霊として印象的に描いていると思えるからであります。

この少女は声すら上げられない、上げさせてもらえない不条理の中にただひたすら押し込まれ、最終的には死という究極の理不尽を引き受けたワケです。

この作品では不穏な音響効果がことごとく死んだ少女の存在を示唆していくのだけれど、それは上述の不条理に絡め取られた少女の声なき声が、死してもなお人間的にもがき続けているような様相を彷彿とさせてめちゃくちゃ胸が苦しくなるのです。

少女の霊が泥にまみれた手の平を役所広司に押し付けるワケなんだけど、それは彼女を襲った理不尽に対する健気な抵抗として、少女という人間の存在を他者に対して精一杯に伝えるという非常に純粋でとても切ない行為だったと思う。
心霊というスピリチュアルな性質に絡めて言えば、これこそ想いの結晶という現象に他ならないと思いましたし、もうなんというか強烈に胸を打たれて言葉を失ってしまった次第でありました。

理不尽という中心を取り巻く周縁としての生者と死者の想いを、心霊的な手法によってその双方を平然と同一画面上に存在させるという表現としての豊かさに感嘆したし、そしてなによりその視点の優しさに泣きました。
大川隆法先生の降霊も全然好きだけど、この黒沢清の降霊はもうエル・カンターレ級に好きです。
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