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不気味なものの肌に触れるのAZのレビュー・感想・評価

不気味なものの肌に触れる(2013年製作の映画)
3.6
黒沢清監督の『CURE』を感じた。短絡的な発想だと思っていたが、よくよく思い出してみると黒沢清監督と濱口竜介監督はいわば師弟関係で、あながちこの見え方は間違っていないかも。人が死んでいる描写の怖さも、黒沢清監督イズムがあるといえばある。

今作はワークショップがかなり印象的だが、人との距離やコミュニケーションの複雑性というテーマをこういう形で見れたのはありがたかった。おそらく実際にこのようなワークショップを映画制作の中で行ってきたのだと思うし、参考になった。

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怖いと感じるものについてカフェで話すシーンが印象的で、おそらく重要なシーンだったと思う。人が触れてほしくないと思う部分に怖さを感じると。だが、そこに触れると怖さは無くなる。自分の中でその存在が「わかった」からだろう。(この辺り少しニュアンスが違うかもしれない)

ここでの会話は、最後のシーンの理解の助けになる。不気味な存在である千尋の何かが「わかった」のだと思う。ただ、その「わかった」何かは触れた直也にしか分からない。

わかるとは、わかろうと努力した人、触れたものしか得られない。また、その過程や過程の中にある感情も重要に感じる。すぐに触れてもダメ。一定の時間その距離を保つ中で浮かび上がってくるものの意味や重要性について考えさせられた。

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見応えはあった。ただ、何を意図しているのかわからない部分は多い。それは当然だと思う。自分は彼に触れてないし、その努力もしえない。彼らの姿を見ることしかできない鑑賞者でしかないから。

完全に拒絶されてはしまったが、強い好奇心の湧く作品だった。
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