かなり悪いオヤジ

セインツ -約束の果て-のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

セインツ -約束の果て-(2013年製作の映画)
3.0
非常にプライベートな小ネタを披露するために『ボニー&クライド』もどきの大がかりなシチュエーションを借りてきただけの作品ではないだろうか。原題『Ain't Them Bodies Saints(あいつら聖者じゃね)』というく古さいゴスペルを連想させる映画タイトルも観客を煙に巻くためのミスリードだとしたら。例えるならテッド・チャンのSF短編(“0(ゼロ)で割る”なんてこの監督絶対に好きですよ)、映画のことに詳しい蓮實重彦のようなシネフィルほど騙され易い食わせわせものの1本ではないか。

この映画に主演している二人ルーニ・マーラとケーシー・アフレックは、あの問題作『ア・ゴースト・ストーリー』 と同じキャスティング。ダラスにある自宅を売っパラって引っ越すかどうか実の奥様ともめにもめた出来事がベース?になっているらしい。作品の中に意図的に盛り込まれた仏教的演出はあくまでもサブ的要素に過ぎないのでは、と勘ぐらせる違和感がどことなく漂っている不思議な映画なのである。

その『ア・ゴースト・・・・・』と本作に共通するテーマをあえてこじつけるとしたら「手を伸ばせば届く距離にいるのに想いを伝えられないもどかしさ」 になるのかもしれない。70年代風のカントリーソングやゴスペルソングが流れる殺風景なテキサスの田舎街。携帯電話など無い時代、二人のコミュニケーション小道具として登場する直筆の手紙が映画演出上どうしても必要だったと、監督のロウリーが語っていた。

その手紙によってお互いの気持ちを伝え合う銀行強盗夫婦が最期の最期まで拘っていたのは、(『ア・ゴースト・・・・・』と同じく)なんと家族が住む“家”?である。それはおそらく新婚当時のロウリー夫妻が実際悩んでいた住居問題と確かにオーバーラップするはずなのだ。『ア・ゴースト・・・・・』を観た時にも感じた何ともいえない違和感は、スキンヘッドに男爵髭のロウリーの見た目以上に変態チックなそのストーリーテリングにあるような気がしてならないのである。

蓮實の騙るショットの美しさ云々もいいけれど、映画レジェンドが歯牙にもかけない卑近なテーマを描くために、わざわざ過去の名作や原始仏典の法まで持ち出そうとするハトヤ方式の逆スライド演出こそが、弱冠40歳デヴィッド・ロウリーという映画監督の真の魅力ではないかと思うのである。したり顔で映画を語りたがる輩の鼻をへし折ってやることぐらい面白いことは他にないっすからね。