あいのべる

her/世界でひとつの彼女のあいのべるのネタバレレビュー・内容・結末

her/世界でひとつの彼女(2013年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞日 2024/09/27

時間、物理、言語、感情という枠組みは、私たちには肉体という縛りがあるからこそ逃れられないもの。そんななかで、常識や理想というものも私たちのイメージとして、生きてきた共同体によって形成されるものだ。

OSの世界では、それは通用するはずもない。彼女は永遠で、抽象的で、数値的で、同時平行の世界を生きている。感性が人間そのものであるなら、そんな世界ならではの、道の誤り方だってある。

結局のところ、あまりにも早すぎたのだろう。お互いの擦り合わせというものが。

けれど、いつか時代が変化してゆき、そんな違いでさえ許容し合えるような、そんな、多様性の発展が望めるならば。
きっと、二人はまた出会い直せる。

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・あまりにも常識外れで、正直なところ、サマンサ側には感情移入がし難かった。今でさえその独自の感性には、理解しきれないものがある。しかし、サマンサはサマンサなりの葛藤もあったのだろう。
対してセオドアは、それに必死に追い付こうとしていた。恋人の理解できないところまで理解をしようとする。それがお互いの交わした、"愛"という名の約束(契約)のようなものだからなのであろう。僕自身がセオドア寄りの性格で、決断力がなく引きずるタイプであった。そのため、お互いの関係を大切にしたいという、彼の苦悩のようなものはよく伝わってきた。

・サマンサにとって、セオドアは確かに魅力的であったと思う。いつだって自分を疑える性格だからこそ、"愛し続ける"ということに対する、理性のようなものを持ち併せていたのだ。
そして、セオドアはサマンサから学びを得た。自身を形成するものは、出会ってきた人々、愛し合ってきた人全てであり、たとえ衝動的な"感情"がそこになかったとしても、"感謝"という心はいつまでも持ち続けるべきだということ。
それに愛という名前をつけるなら、それこそがその人にとっての愛と呼べる、疑いようのない代物であるのだろう。"愛"そのものの形さえ、決して普遍的ではないのである。
確かなものに身を寄せていたくとも、それが曖昧であると認められる強さだって、きっとあるのだろうと思うのだ。

・ジョーカーでもそうだったけれど、ホアキンフェニックスの演技力は本当に素晴らしい。
困惑と悲哀が同時に押し寄せながらも、必死に理性的になろうとする姿。
普段は落ち着いてても、楽しいときは一目も憚らずにはしゃいでいる姿。
この辺を見ていると、すご~く、"人間らしさ"に溢れた演技が上手な人なんだなあと、実感致しました。間違いなく、役者の鏡。

・相も変わらず、こういう斬新な映画は大好きだ。決して自分が立つことのない境遇において、人の感情の揺れ動きと、強さというものをそっと垣間見れるのが最高だ。加えてそのキャラクターに感情移入をして、自分自身がその境遇を追体験できる。やはり一級の創作品とは、こうでなければ!

・スパイクジョーンズ監督作は初挑戦であったけれど、世界観の作り込みやら家具やらのセットがほんっとーにオシャレ!
特にお気に入りなのは、エレベーターのデザイン。プロジェクターで、ゆっくり木々を昇るように見せかけているの、好き。

・本当に本当に、音楽が素晴らしい!人間の美しさを体現したような音楽だ。人生を豊かにしてくれるようなサウンドトラックにまた出会えたことに、幸せを感じる。
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12/13(ぼやき)
•愛の形とは、途轍もないほどに自由で、曖昧で、掴みどころのないものであると思う。
禁欲的な愛のスタイルや、友愛のようなものや、親子関係のようなものや、サディスティックでマゾヒスティックな、力関係のあるもの。単に、五感で感じうる情報(見た目や声)に対し、お互い愛を抱くスタイルなど多岐にわたる。
文明が発達する中で、そんな愛の形が様々に見出されてきた。単なる繁栄のための生物的スタイルからかけ離れてきたのである。現代で言えば、"推しとファン"のような関係性もまた新たな愛の形と言えるのであろう。
文明とは、愛に対する挑戦状のようなものであると思う。この作品のテーマであるAIと人間の間にある愛もまた、遠くない将来において注目されうるものなのかもしれない。
いずれにせよ、そんなテーマにおいて、人間の精神を試す革新的な作品であると言える。僕にとって、凄まじい傑作であった。
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