自分の中でずっと『鏡』が最重要作品になっていた。イタリアで撮られた『ノスタルジア』はヨーロッパの艶っぽさが感じられることに違和感があり、くぐもったロシア語で国内で撮られた作品こそタルコフスキーなのではと勝手に思っていた。
特にドミツィアーナ・ジョルダーノ演ずるエウジェニアのドルマンスリーブで垢抜けた服装と、彼女がたびたび行う細かいウェーブの長い赤毛をかき上げる仕草に違和感を感じていた。ベルイマン作品常連のエルランド・ヨセフソンがドメニコ役でもあり、すでに汎ヨーロッパともいえる。
しかしその違和感もまた、ソ連にいられなくなったタルコフスキーのノスタルジアだったのかと今さらながら。
ローマの広場でドメニコが銅像に上って演説するシーン、歪んだ第九が流れる瞬間と白い背景に、ふと何か別のものを想起したのだけど何なのかはっきり思い出せない。ベルトルッチやアンゲロプロスみたいなのだけど、思い出しそうのはそれらではない。衝撃的に揺さぶられるこのシーンがタルコフスキーぽくないなと思うのは、水が無いからかもしれない。タルコフスキーのどの作品よりも動的な衝動性が強いように思う。
そこにつながれるのが温泉でオレグ・ヤンコフスキーが蝋燭を持つショットなのも震える。水がここで補完され、この途方もない祈願のシーンは火だるまになるドメニコのシーンと呼応する。