【超人となれぬ変人は廃人となる】
U-NEXTにて。キチンと見るのは三回目かな?前回が一番、発見があって楽しかったような。
映画の包みとしては俳優の艶が香り、惹かれてある程度そこから入れる。しかしその先は、クロ監督自身が映像化は不可能と自覚して、漂っていれば映画になる…と、しれっと暴投したように思える。
延々とつきあわされる感覚は、先に進めないというもどかしさだ。
原作はいまだに未読だが、監督はそれに惹かれつつ、映像化への齟齬を埋められなかったように思える。
クロ監督は、人間はクロ流の進化をすべき…との妄想をずっと、映画にしてきている。ここで狙ったのはセックスの進化ではと。人と人とだけで致していてはやがて不能(退化)となる。まずモーターサイクルを“オカズ(性具)”化してみよう。その先に、機械とのセックス(融合)までを目指したのではと。
イライアス・コティーズが見事に変演する“変人”ヴォーンが始めにいう“最新技術による人体の再生”とは、上記の通りならまんざらウソでもない。てか、創造主クロの本音ではないか?
…まあ、人間の性欲にはキリがないってことなんだけど。www
先に書いておくと、本作の影響を受けた女性監督ジュリア・デュクルノーが最近『TITANE/チタン』にて本作の先…妊娠出産までを描いたことに、とても納得してしまいましたよ。
未読なので想像でしかないが、J・G・バラードの原作からだと、クロ監督の妄想は着地できなかったのでは?冒頭と、最後の台詞が明快だ。結論を“この次はきっと…”と言うしかなかったんだよね。
監督の脳内ではきっと、物凄く前向きに妄想している。しかし商業娯楽映画でそれを実現する方法論は結局、見つからなかった。だから表向きはモーターサイクル・ポルノで終わる。…というもどかしさ。
原因結果でいうと、結果としてアウトプットされた映画より、原因である監督の脳内の方が凄まじく面白い、はず!…と、想像することでめっちゃ面白い体験となる、マテリアル・ムービーだと思うのです。w
男たちだけでは滑稽にさえ見えてしまう中で、デボラ・カーラ・アンガーのセクシャルな器力が、どこか儚いながらも、エロスの漏れを防いでいますね。
しかし、本作の“セックスシンボル”は、ガブリエルを演じたロザンナ・アークエットでしょう!あの姿は交通事故で壊れたのではなく、クロ流の妄想では、進化の過程なのだと思います。
きっと、『戦慄の絆』に登場した“ミュータント用手術器具”を使っているのですよ。
全体を包む音楽は、クロ映画ではお馴染みハワード・ショア。金属の弦が奏でる冷ややかさが心に染み込んできて見事、本作の温度を代弁していました。
<2024.3.21記>