あにお

鑑定士と顔のない依頼人のあにおのネタバレレビュー・内容・結末

鑑定士と顔のない依頼人(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

びっくりはびっくりだろうけど、ざっとレビューを見るとザマァ意見は少数で、がっかりというか胸糞的な感想を持つ人がわりといるのが不思議。どうやったらあんな嫌な主人公に肩入れできるのか?みんなあんな偏屈ジジイのハッピーエンドが見たかったのか?
これはこの監督の作品のうまいところで(と言うほど数は観ていない)、どんな奇妙でヤバイ登場人物でも、それを囲む人物たちや世界をなんかちょっとおかしいものにすることで、違和感を感じさせないようにしている。『海の上のピアニスト』然り、『ある天文学者の恋文』然り(ようするにこの二つしかちゃんと観てない。両作品のどこが…は各作品のネタバレにつながりかねないので割愛。この映画の場合は、ヴァージルの偏屈ジジイ感を散々描きつつ、クレアが輪をかけてヤバイ癇癪持ちであると描くことで、ヴァージルのヤバさを緩和しているところとか)。
個人的にはドナルド・サザーランド好きなので、素晴らしい結末と思える。

ただ、二度観た後も、解説サイトを斜め読みしても、どうしても分からなかったのが、「いかなる贋作の中にも必ず本物が潜む」をメインテーマのように掲げている理由。もしこれが単なる“大どんでん返し”映画であるのなら、「いかに本物に見えたとしても時に贋作のときもある」でしょ?逆じゃん。
これに関してようやく合点がいった自己解釈は以下↓

ヴァージルは、クレア邸にあったバレリーナ?の絵にあからさまに興味を抱く(クレアにあの絵は?と聞いて、手元に置いておきたいと言われたときに、「大した価値はない」ときっぱり言うが、これは欲しいと思ったものを安く手放させて最終的に自ら手に入れる手法。冒頭で復元してた絵に対しても同じこと言ってるでしょ)。でも、母の絵だと言われてしまうとさすがに手は出せない。そこでクレアに取り入って、絵の持ち主ごと手に入れてしまおう、と画策した…とまで言うと荒唐無稽すぎるが、そこは一旦置いといて。
ヴァージルがバレリーナの絵を秘密のコレクションルームに飾ろうとして(著名な画家の作品でもないのによっぽど気に入ってたのね?しかもクレアを探すことより絵を部屋に持ち込むことを優先するんだね?)、自分が騙されていた事実とともに、その、自分が執心した絵がビリーの作だと知る。と同時に、オートマタから例の「いかなる贋作の中にも~」が繰り返し流れる。ようするに、ずっと才能がないと突っぱねていたビリーにも画家としてのひとひらの才能があったと。それを見抜けなかった自分の鑑定眼のなさに絶望しての、あのラストの変わり果てた姿ですよ。これがひとつ。
で、上述の荒唐無稽解釈に話を戻すと、バレリーナの絵のために不器用ながらも取り入ろうとしただけだったはずのクレアを、いつしか本当に愛してしまった。ぜんぶビリーらが仕組んだことで、クレアのそれも演技だったと知った後になって、クレアが語っていたプラハの店にわざわざ足を運ぶほどに、深く。これがもうひとつの、「いかなる贋作の中にも~」につながり、そこで映画は幕を閉じる。

これが理系が考えた論理的解釈。
(…嘘です根っからの文系です。)
あにお

あにお