映画漬廃人伊波興一

罪の手ざわりの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

罪の手ざわり(2013年製作の映画)
3.1
方向感覚が喪失されたような現代中国の都市生活
ジャ・ジャンクー
『罪の手ざわり』

90年代はじめ、候考賢と書いてホウ・シャオシェン、
張芸謀と書いてチャン・イーモウ、
陳凱歌と書いてチェン・カイコーと、
誰もが読めるようになるくらい台湾ニューウェーブや中国第五世代がまばゆい陽光を浴びて目まぐるし駆け抜けたのが昨日の事のようです。

それからあしかけ30年。アジア圏の疾走ぶりは映画に何を残したのか?

台湾ニューウェーブの候考賢、楊德昌エドワード・ヤン 蔡明亮ツァイ・ミンリャンの御三家だけでも、物語の起伏や人生謳歌を主流とする構造を地盤沈下させ、ゴダール効果とも言うべき作家性がアジア圏でもスタンダードな位置までもたらされたのは申し上げるまでもありませんが、中国第五世代の残した影響に関して言及している論説には意外とお目にかかってないような気がします。

文化革命以後、北京電影学院から輩出された多くの才能は共産主義時代以前の中国人の映画人によって作られた社会主義リアリズムの伝統を拒絶する点でとても好ましく感じておりましたが、その動きは1989年の天安門事件以後には沈静化し、近年では国による検閲の影響もあるらしく、アンダーグラウンドでの映画ムーヴメントが生まれているそうです。

私はジャ・ジャンクー作品は世評の高さより我らが北野武(オフィス北野)が積極的に提携している点でいつの間にやら無視出来ない作家になっておりました。

アンダーグラウンド故に短期間・低予算・イタリアのネオリアリズムに通じそうな生々しさ。
多くの作品が近代の資本主義市場に入ろうとしている中国をネガティブにとらえている所からも必然的に資本家対労働者の構図が通底し第五世代から一層ペシミズムに徹してるかのようです。
ですが個人主義的
反ロマン的
生活反視点的などだけでは(映画)それ自体を逆行させる危険性を孕んでる気がします。
悲劇を主流とする時代は終わらせて頂きたい。
作業員ダーハイのチアン・ウーも
強盗チョウ のワン・バオチャンも
風俗サウナの受付シャオユー のチャオ・タオも
広東省の青年シャオホイ のルオ・ランシャンさえ
すれ違っただけでも手に負えない人物であるにもかかわらず、誰もが何処かの映画で既にお目にかかったらようで独創性に欠ける気がするのはその為でしょうか。
劇中人物が資本家の犠牲になるのは理解出来ますが映画を犠牲にする事もありますまい。

聞けば本作『罪の手ざわり』は未だ中国では上映禁止だそうですが本当でしょうか?本当ならそんな政策そのものが映画を犠牲にしている証ですね。