Kuuta

ビッグ・ヒート/復讐は俺に任せろのKuutaのレビュー・感想・評価

4.0
エドウッドの珍作「プラン9・フロム・アウター・スペース」の冒頭、老人がフレームアウトした後に車のブレーキ音が入り、彼が事故死したっぽいことを示す場面がある。編集の間の取り方がどうしようもなく下手なので、画面に映らない出来事の「解釈」が本当に正しいのか、要らぬ心配をさせられるシーンだ。

今作は拳銃のクローズアップから始まる。男がそれを手に取り、発砲する姿は映らないが、銃を持つ手の動きと発砲音、倒れた体から、自殺したと「解釈」できる。しかし、彼がなぜ自殺したのか、動機は分からない。当たり前に見える編集、映画的な省略が覆い隠す謎から、今作は幕を開ける。

今作は警察組織のしがらみや性差別、無意識という「記号」に支配された日常を題材とし、スティグマに拳銃で立ち向かうノワールだ。ヒトラー政権から亡命したフリッツラング的なテーマと言える。

自殺の背景にはギャングや警察組織を巻き込んだ癒着がある。母親の肖像画や匿名の電話が、硬直した薄暗い世界を彩る。

主人公はある事件をきっかけに警察を辞め、閉じられかける扉を無理やり開け、管轄外の事件に首を突っ込み、一度で済ませろと言われた聴取は決まって2回行う。暴力全開で復讐に突っ走る。行動がかなり暴力に寄っていて驚く。

支配構造を打ち破るのは、主人公のように光から影へと移動できる越境者だ。傷を負うことで社会のヒエラルキーから外れる一方で、ある種の怪物と化しながら自由に力を行使する。

主人公に助言するバーの女への照明、顔を近づける度に明度が上がる。ある女は横顔に火傷を負わされたことをきっかけにアウトサイダーとなり、ファムファタル的な振る舞いを見せる。重要な証言をする老婆は杖を付いている。

顔の傷が最たる例だが、ラングは「視線」という社会に漂う無形の暴力の被害者として、女性を描く。ギャングに仕える女たちは機械や物のようにコントロールされている。対照的に主人公の妻は主人公と家事を連携して進め、飲み物やステーキをシェアし、車のキーを投げ渡される。主人公が殺人という最後の一線に自制的でいられたのは、越境を巡る家庭でのトレーニングの賜物なのかもしれない。

クライマックス、主人公は亡くなったある女性への想いを語り続ける。会話はまるで成立していないのだが、あの場面、何かが通じ合ったようにも「見える」。主人公は復職し、再び警官という記号を背負って日常へ帰っていく。
Kuuta

Kuuta