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家族の灯り(2012年製作の映画)
3.8
 夕闇の波止場に佇む1人の男ジョアン(リカルド・トレパ)の姿。ひどく物悲しい諦念を纏うその背中、港町の湿気った風は容赦なく男の身体を寒空にさらす。洞穴の中央に灯るオレンジ色の柔らかい光。影を纏ったジョアンはオレンジ色の光に触れようとして、絶叫を残し逃げ去る。石畳の路地裏、暖かい室内では今日もいつものように妻ドロテイア(クラウディア・カルディナーレ)と嫁ソフィア(レオノール・シルヴェイラ)が窓の外を見ていた。ひざ掛けとスリッパを用意しないと。嫁姑は父親の座る上座にひざ掛けをそっと掛ける。時代はおそらく19世紀、まだ電気のない時代。蝋燭の僅かな明かりだけがこの家の光源となる。石畳に響く革靴の音、咳き込みながら会話する父親ジェボ(マイケル・ロンズデール)の声に部屋で待つ2人は微かな希望を抱く。やがてドアが開くと、期待していた息子の姿ではなく、隣人で芸術家のシャミーソ(ルイス・ミゲル・シントラ)が陽気な声で話しかける。落胆する2人、妻ドロテイアは夫のジェボにジョアンの安否を確認するが、ジェボはいつも答えをはぐらかす。父の死をきっかけにこの家に引き取られたソフィアはやがて当たり前のようにこの家の一人息子のジョアンと恋に落ち、めでたく結婚するが夫婦に子供はいない。平和な暮らしを続けるごく平凡な家族の暮らしが8年前、音を立てて崩れる。ジョアンは8年前、家族に何も告げずに突如家を飛び出した。

 ポルトガルの作家ラウル・ブランダンの戯曲を基に描かれた物語は、息子の不在を受け止められない家族の姿を殺風景な部屋からほとんど出ることなく静謐な筆致で描く。マッチを擦って灯されるテーブルの上のランプ、石畳の路地を照らす街灯の明かりはLEDライトで飾られる現代の照明とは一線を画す。そのショットはまるで宗教画のようにも見える。さながらバロック期の画家レンブラント・ファン・レインの絵画のような光の量塊表現が各ショットに緊張感をもたらす。撮影を担当したのは『家宝』以来2度目のタッグとなるレナート・ベルタ。彼は石畳に囲まれた狭い部屋の情景をテーブルを基調とした固定カメラによる単純な切り返しで据える。長回しで据えられたカメラはそれぞれが哲学的な主張を繰り広げる役者たちの生理にじっくり寄り添う。会計士として今なお働き続けている家長のジェボは、妻のドロテイアにいつも大きな嘘をつき、真実を誤魔化している。そんな義父の姿に真実を話した方が良いと忠告するのはジョアンの妻ソフィアに違いない。息子が8年間戻らない理由を家長は知っていながら、女たちにはいつも答えをはぐらかす。それは偏に3人の関係性が真実を知った瞬間、崩壊すると感じ取っているからである。父親は旧態依然とした核家族の風景を頑なに守ろうと苦心しているが、そんなある日、8年ぶりに息子のジョアンが我が家へ帰る。彼はジェボの隣に座ると、高笑いのような笑みを浮かべるのである。

 今作の描く家族の有り様はポルトガルの近現代史とも切っても切り離せない。ジョアンを演じるリカルド・トレパは往往にしてオリヴェイラ作品ではこの街の因習を突き破る冒険家として振る舞って来た。『アンジェリカの微笑み』では既に亡くなったアンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の微笑みに見せられ、農民たちの土の歌が鳴り響く中、黄泉の世界へ躊躇なく飛び込む写真家イザクを演じ、『ブロンド少女は過激に美しく』でも隣家の2階に住む少女に熱を入れ上げ、彼女のために外貨を稼ごうとアフリカの海へ出発した。『コロンブス 永遠の海』は大航海時代にポルトガルから新たな航路へ打って出た冒険家クリストファー・コロンブスの生涯に魅せられた男が、一生を賭けて冒険家の出生の秘密を暴こうと躍起になった。オリヴェイラの映画において、実際に彼の孫にあたるリカルド・トレパの起用は常に伝統を守ろうとするポルトガルの歴史を覆す冒険家のイメージを有する。クラウディア・カルディナーレ、ジャンヌ・モロー、マイケル・ロンズデール、ルイス・ミゲル・シントラが席に着いた切り返しの場面は何度観ても彼らの演技に唸らされる絶品の名場面だが、8年ぶりに我が家へ帰った男は感慨に浸ることもなく、古い世代の諦念をひたすらに罵倒する。夜になると別の人生がやって来るというジョアンの神経症的な病巣と贖罪意識を、彼を育てた両親も彼が愛した妻でさえも救済することが出来ない。家族を遠ざけようとした影は隠そうとすればするほど惨めな思いに苛まれ、古い世界の秩序に突如テロリズムの病理が浮かび上がる。19世紀の古色蒼然とした物語を扱いながら、伝統と革新の板挟みに遭う祖国の風土を暗喩した物語は、極めて現代的な革新性に満ち溢れている。
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