セガール幹事長代理

墨東綺譚のセガール幹事長代理のレビュー・感想・評価

墨東綺譚(1992年製作の映画)
3.5
創作意欲と性欲の低下を自覚し始めた女遊び大好きな作家が出会った遊女との物語。

純度100パーの下心に満たされながら鑑賞を始めたが途中から真面目な反戦系の話に舵を切られて困惑する羽目になった。

物語序盤、「避妊を伴う行為は処女を奪ったことにならない」という独自の理論を力説する主人公のおっさんに対して、こいつぁは只者じゃねえなと武者震いに似た感覚に陥ったし、「人生の三楽は読書、色欲、飲酒であり、読書は学問ではなく恋人の囁きである」との言葉はかっこよすぎて私が考えたことにして飲み屋で使い回したいなと思った次第だが、話が進むにつれてちょっと自分に都合の悪いことが起きるとそそくさと逃亡したり、加齢による身体機能の低下で仏様みたいな憂いと悲哀に満ちた表情で行為に挑む姿が散見され、その背中は、サウナで我々が目にするその辺のおっさんのそれと何一つ変わらないものであった。

私がこの手の作品を評価する上で大事にしてるのが、絡み役の男性がいかに素を出せているか、という点なんですけど、例えばぼくが、女性のお店に友人と行ったとします。そこでぼくについてくれた女性に対するぼくの振る舞いを友人は見るわけじゃないですか。「こいつこういう感じで手握るんだ」とか「お前が言ってるブラックカードただの黒いTポイントカードじゃねえか」とかぼくの口説きのテクニックが盗まれるわけじゃないですか。
そういった意味で夜のお店には一人で行くようにしてるんですけど、同じ塩梅で男優も自分のプライベートの絡みを視聴者に連想させない為に演技を無個性に徹しようという感情が芽生えるのは大きく理解できるんですが、そこを超越して初めて演者というもの。
本作のおっさんはみなぎってきたらテンションあがって葡萄を口移ししたり、必要以上にディプキに徹したりと「完全に私情はいってるよね」というのが痛いほど伝わってくるので観ていてワクワクしました。こうでなくっちゃ、と思いました。

アルコールが入ってでかい声で下品なことを叫ぶおっさん、日常会話が言葉責めみたいな文学性のあるおっさん。色んなおっさんがいるが、前者と後者は何が分岐点となり異なるタイプに変貌を遂げるのか。単純な性経験の差だけでは決して無いはずである。そこに前述の「読書」を「恋人の囁き」と認識し、吹けば消えてしまいそうな女性の所作のひとつひとつに美しさを見出すことが巨乳だ美脚だ言ってるだけのおっさんと大きく差をつけるポイントなのかもしれない。そんなことを映画のおっさんは教えてくれました。

年齢当てゲームが好きなひとにおすすめ。