このレビューはネタバレを含みます
若尾文子。日本映画史の女優のなかで、ファム・ファタールを演じさせたら彼女に敵う人はほとんどいないと思っている。若尾文子の演じるそういった人物はそれが小憎たらしいとかではなく、人間味のあるキャラクターになるから観ていて惹きつけられるのだろう。
男性だけでなく女性をも虜にする光子(若尾文子)は何が目的かよくわからないが、自分を崇拝させることで支配下に置きたがるようである。さらに支配関係を強めるのが、彼らだけの狭い世界で完結してしまっているからである。美術学校のシーンで生徒たちが映ったりする程度で、当事者たちと女中さんしかスクリーンには現れず、現在の園子が「先生」に語っているくらいである。
光子に翻弄される激情型の年上の女性、園子(岸田今日子)は嫉妬で狂わされていく。日本画を習い、モデルの女性を描くなかでも自分でも気づかないほど光子に惹かれてしまっていることが表されている。
夫の監視から逃れたがる園子。それを察してか、光子は綿貫から脅迫めいた束縛をされていることを園子に話し、自分たちが同じ状況にいることを共有する。ただそれだけではなく彼女は園子の夫にもつけ込むのだ。園子の夫を取り込んだのは、果たして自分の崇拝者を増やしたかっただけなのか、それとも園子をそれほどまでに自分の元に置きたかったのか…。それぞれの人物が愛に飢えているが、それらは狂気へと変わり破滅へと導かれていく。不思議な魅力のある作品だった。