このレビューはネタバレを含みます
尺や演出のポップさが良く捉えれば見易さに繋がっているし、悪く捉えるとテーマ性を損ねているとも言えると思います。
が、深夜に配信環境で観る分には寧ろありがたいクオリティでした。
設定としては予知能力者同士の能力対決というドラマによくありがちな設定なのですが、キリスト教を軸にした宗教観を背景に死生観や倫理観をテーマにしている部分がやはり洋画ならではのテーマで、普遍的かつ思慮に値する映画と言えるかと。
その宗教的な観念に、犯人チャールズは対抗概念として揺さぶりをかける存在として登場します。
具体的には「もし神が存在するなら、なぜ悲劇が起こるのか?」という問いや、ほぼ同意義ですが「全ての命がいずれ死を迎えるとするなら、なぜ神は命を与えるのか?」という根源的な問いです。
今日的なキリスト教的回答としては、
「神は絶対的かつ端的に意志するから」といえます。
つまり人間のような相対的な存在には絶対的な神の意志など理解し得ず、事象が善か悪か等は判断出来ないという事です。
人間の目からは悲劇に見える事も、神の目から見れば福音となる事の示唆になります。
ラストにエリザベスと公園で再会しますが、空いにくる理由として手紙の内容が「過去の話しだけになった」からと言います。
これはジョンが未来を予知できるが故に、あくまで人間的な感受性で訪れる事象に対してif/then式で思考してしまう状態から解放され、どの様な事象が訪れたとしてもエリザベスと一緒に乗り越える意志を持つ覚悟的な状態に到達した事を肯定的に暗示します。
科学と超能力の違いこそあれ、
意外と本質的にはSF映画の「ガタカ」にも通ずる要素があるのではないかと思います。
なぜその様な状態を肯定的に描くかという事を日本人が理解するには少しでも宗教に関するリテラシーがあると良いのかなと思います。