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ハイドパーク・フリーコンサートのSのレビュー・感想・評価

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結成60年記念として映画が公開され、改めてストーンズの歴史に興味を抱き『The Swinging 60's The Rolling Stones』(2006年/76分)というタイトルの作品をDVDで鑑賞。ザ・ローリング・ストーンズを結成した初代リーダー、天才ブライアン・ジョーンズの苦悩と死までを描いたドキュメンタリー。テレビ放送を編集しソフト化したものでFilmarksにはリストが存在しない。
ブライアンが眠る墓地の映像で始まり、最後は1969年のハイドパーク・コンサートに繋がる流れで、私にとって目新しい内容ではなかったが、忘れてしまっている事を復習するには良かった。ビートルズに対抗するため、ストーンズを不良のイメージで売り出すことに成功したマネージャー:アンドリュー・オールダムと同時期にマネージャーを務めた男性の証言を中心に、ブライアンのファンクラブの主催者や、2000年前後と思しきミックのインタビュー、『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』でも見たレストア前の元の映像が使われていた。

以下は、『The Swinging...』の内容と私の知識による解釈を加え簡単に綴ったもの。
ブライアン・ジョーンズは、イギリスの中流家庭の航空技師の父親とピアノ教師の母親の元に生まれる。母の影響で幼い頃からピアノを弾き成績も優秀だったが、両親の期待に反し、16才でGFを妊娠させ高校を中退し家を出て様々な職に付きながら、ミュージシャンとして成功するためにジャズクラブに入り浸る。1960年代に入るこの頃、音楽とドラッグは切っても切り離せない時代に入っていた。
クラブでスライドギターを演奏するブライアンに感銘を受けたミックとキースをメンバーに迎え、ザ・ローリング・ストーンズを結成。リーダーのブライアンの方針でR&Bバンドのカバーを中心に活動していたがバンドは目が出ず、ビートルズを手がけて成功したアンドリュー・オールダムをマネージャーに迎えると変化する。彼の戦略はVo.ミック・ジャガーを中心に据えたビートルズに対抗した不良イメージのロックバンドとして売り出し、反抗盛りの若者の心を掴みバンドはアイドル的人気を博す。
ブライアンの目指すR&Bバンドとしての方針は、ストーンズの商業主義的な音楽性と合わなくなり、ブライアンはバンド内で居場所を無くし孤立するようになる。オールダムの構想するストーンズに不要だと判断されたブライアンを排除する動きが出始める。
元々喘息持ちで身体が弱く、精神的に不安定なブライアンはドラッグとアルコールを多用するようになる。スタジオにやって来るとそれまでのように演奏することが出来たが、やがてブライアンがスタジオに訪れると彼のパートが予め限定されていたり、ブライアンのマイクの電源だけ切られたりとあからさまな虐めがあったと語られる。
女性関係は、5人の女性との間に未婚のまま次々と私生児を設ける。当時は避妊の概念がまだ無かった。ブライアンに息子を連れて会いにきた未婚の母たちが親しげに話しかけると、「あんな女は知らない」と冷たく言い放ったとか。パット・アンドリュースがブライアンそっくりな金髪の幼い息子を連れてインタビューに答えている。
ストーンズのメンバーの中で最もドラッグ依存が強く計2度の逮捕をされているが、バンドを悪いイメージで売り出したことで結果として2度目は見せしめのような逮捕劇(要するに嵌められた)となった。
マネージャーのオールダムは、派手な生活を好みドラッグにも手をつけていたが、逮捕を恐れ国外へ逃亡したと語られる。何とずる賢い男だろう。
元々シャイで繊細な性格だが女性にモテたブライアンが、生涯で唯一夢中になった恋人アニタ・パレンバーグにも暴力を振るうまでに人格が変化し、彼女はキースの元に去った。ドラッグから更生しようと試しみたが度重なる裁判やストーンズ内での孤立に加え愛する女性まで失ったブライアンの精神はボロボロになり、昼間はまだ抑えられたが、夜になると手がつけられないほど荒れたと語られる。ブライアンは二面性を持った人物だったと言われ、誤解を招くことが多かったのだろう。快活で、6人目のストーンズと言われるアニタ(マリアンヌ・フェイスフルと共にストーンズの女として名を馳せた)とは性格が合わなかったのではないかと思う。
ギターとピアノ、ハーモニカだけではなく東洋のシタールなど20種類以上のブライアンが演奏した楽器によってストーンズの音楽は多様性を纏っていく。
しかしブライアンはドラッグから抜け出せず、レコーディングを無断欠席するなどし、バンドからついに解雇を言い渡される。失意と共に新たなバンドを組み再出発を切るため、A.A.ミルンの邸宅を買い取り健康を取り戻そうとした矢先にプールで27歳という若さで事故死してしまう。

ブライアン・ジョーンズに関して才能がありながら、性格は難しくドラッグと酒と女に溺れ若くして亡くなったと悲劇的に語られる事が多いが、そのような単純なものではない故に興味が尽きない人物で、ブライアンの死を他殺説から描いた映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(2006年)公開時には伝記本を読み返したり、事あるごとに触発され、彼の数奇な人生に憑かれ妄想の中で堂々巡りをしてきた。

結論として、ブライアンはストーンズの誰よりも純粋に好きな音楽をやりたかった。ストーンズの成功は良かったけれど後悔もあり、音楽的には満足していないとインタビューで答えている映像が忘れ難い。神経質で完璧主義の性格のため、タフなミックやキースと合わなかったのだろう。デビュー時からブライアンは、学業の傍ら活動していた垢抜けないミックとキースとは違い、私生活も音楽もファッションセンスもかけ離れていた。彼は、殆どが一度手に触れただけで楽器をマスター出来た天才的なミュージシャンと呼ばれる一方で、作曲能力には恵まれなかったと言われるが、ストーンズのためにブライアンが書いた楽曲はなくても(あったとして抹消されたか)彼が生きていたら発表していたに違いない。

本作はハイドパーク・フリーコンサート(英語: Hyde Park Free Concert)は、1969年7月5日にロンドンのハイドパークで行われたローリング・ストーンズ主催の無料コンサートを収めたドキュメンタリー。

当初は新メンバーのミック・テイラーのお披露目コンサートとして開かれる予定だったが、開催2日前の1969年7月3日に元メンバーのブライアン・ジョーンズが急逝し、急遽ジョーンズの追悼コンサートとして行われることとなった。
英国中から約50万人の人々が集まったと言われるが、モッズ、ロッカー、ヒッピーが集った聴衆は暴徒化することなく思い思いに演奏に身を委ね、警備を担当したヘルズ・エンジェルスの貢献を評価され、翌年のオルタモントに再び採用したことで悲劇を生んだ。

有名なマイケル・フィッシュがデザインしたギリシャ風の白い‘ボイルドレス’(新たな出発を意味し修道服に着想を得たという)を着たミックが現れ、オーディエンスに向かってイギリスの詩人シェリーの詩を朗読しブライアンを悼んでいる。
「安らかに 安らかに! 
彼は死んではおらず 眠ったわけでもいない
彼は 人生の夢から目覚めたのだ
幻影を相手に 無益な争いを続けているのは 我らのほうだ 嵐のような幻の中で 我らは道に迷ってしまった......」

この後に、運転手兼ボディガードのトム・キーロックの手で3000羽(実際には段ボール内で多く死んでしまった)の蝶を空に放っているが、『The Swinging 60's The Rolling Stones』内でも語られていたように、茶番劇と評価されていることには納得してしまう。
ブライアンの脱退劇から僅か1ヶ月後に彼が謎の死を遂げ様々な憶測を呼び、疑惑のなかで行われた、悪名高き伝説のコンサートと呼ばれる。ブライアンの死後僅か2日目ながら、ストーンズのメンバーは悲壮感を一切見せず演奏に注力している。しかしバンドの存続をかけたミックを始めメンバーの立場も理解出来るため、非難する訳ではない。

ミックは、恋人マリアンヌ・フェイスフルと彼女の幼い息子と共に自宅からハイドパークに向かうタクシー内で、ブライアンの死から間もないことと、ライブ自体が2年ぶりでステージに立つことがナーヴァスだと語り、またミック・テイラーは初舞台で、メンバー全員が同様の心境だっただろう。新メンバーを迎え門出を祝う彼らにとっては、このステージは復活の場だった。
マリアンヌがステージ近くでライブを見つめる表情が度々カメラで映し出される。
複雑な思いはあるが、リマスター版の映像が美しいDVDで鑑賞して良かった。

前座の演奏は全てカットされており、ストーンズの演奏のみの当日のセットリスト
1. I’m Yours and I’m Hers
2.Jumpin’ Jack Flash
3.I'm Free
4.Mercy Mercy
5.Stray Cat Blues
6.Down Home Girl
7. No Expectations
8.Love in Vain(むなしき愛)
9.Loving Cup
10. Honky Tonk Women
11. Midnight Rambler
12.Satisfaction
13. Street Fighting Man
14. Sympathy For The Devil(悪魔を憐れむ歌)


2022/08/12 DVD リマスター版
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