OASIS

毛皮のヴィーナスのOASISのレビュー・感想・評価

毛皮のヴィーナス(2013年製作の映画)
3.2
自信家の演出家トマとオーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダが、演技指導によって役へ入り込み、2人の立場が逆転して行くという話。
監督は「ゴーストライター」などのロマン・ポランスキー。

舞台は寂れた小劇場、登場人物はマチュー・アマルリックとエマニュエル・セニエという「潜水服は蝶の夢をみる」コンビだけの密室会話劇。
会話や台本の読み上げ等とにかく台詞量が多くて、絶妙なタイミングでかかってくる電話や、引き留めたり引き留められたりのやりとりは「おとなのけんか」を髣髴とさせた。

雨に濡れた小汚い格好のワンダに高慢な態度をとるトマだったが、彼女が台詞を読み始めるとついさっきまでとは別人と思える変わり様に驚き、次第にその演技の虜になっていく。
台本の中の世界に没入していくに連れて、今現在役を演じているのだという感覚が薄れて行くが、観ている側も何処からが台本で何処からが自分の言葉なのかが分からず、行き来する現実と虚構の境目が曖昧な感覚に陥った。
扉を開けてワンダが入ってくるという映画の始まりからして台本の中と全く同じ設定なので、彼女が初めからあえて不快な人物を演じているのは観て取れた。

その場に存在しないコーヒーや書類を、あたかもそこにあるかのように錯覚させる「音」による演出もそういう意図で、トムもワンダも当たり前のように飲んだり破いたりしている。
台詞から解き放たれて会話に移る素振りを見せても、また直ぐに台詞めいた言葉を発するので混乱した。
明確にスイッチの切り替えが行われるのは照明の明暗の操作くらいで、それ以外にも台詞へと移行する瞬間はかなり多いので集中しないとその転換を見過ごしてしまいそうだった。

ポランスキー夫人であるワンダ役のエマニュエル・セニエは、そのケバケバしい風貌と不遜で高圧的な態度からして全く好みでは無かったが、なんとなく監督の好みが窺い知れたような気がする。
プライベートでもあんなプレイをしているのかは分からないが、ロングブーツのジッパーをゆ〜っくりと締める場面には中々のエロスを感じた。

ドSとドMは「サドマゾ」と一括りにされるくらいであるから、紙一重であり表裏一体でもある。
そんな「アンビバレンス」な感情が簡単にひっくり返る事はあっても、男女の垣根を越える事は易々とはいかない。
それを超越してしまうのが舞台であり、映画でもある。
トマは自身の隠された恥ずべき性癖を、舞台で女優に演じさせるという行為によって肯定し、そしてそれを承認される事で最上級の愉悦を得ようとした、という事なんだろうか。

ただ、彼が舞台に投影した自分自身の過去や異常性癖は正直全く分からない。
「服従したい」や「支配されたい」という欲求とは無縁であり、むしろ屈辱を感じてしまうようなどちらかと言えばS寄りな自分に安心した。

@テアトル梅田
OASIS

OASIS