【少女はつらいよ】
(当時)昨年の東京フィルメックスで見逃したので公開を待っていました。
画面から直に想いが流れてくる作品で、それほど人物に同期してしまった。
2時間は冗長だし、もっと巧く語れる筈とも思う。しかし物語の完成度より、主人公ヨンナムと少女ドヒと共にする時間が大切な映画になっていて、2人が始める心の旅に、いつしか浸ってしまいます。
まずタイトル、少女ドヒの名を使った?原題の意図はわかりませんが、英語題『A Girl at My Door』がいいですね。girl next doorにかけた遊びも感じますが、自室に招く他者ドヒを指しつつ、ヨンナム自身に残る少女(=ピュアネス)も指していると思う。
だから肢体や言動は大人、しかし驚くべき童顔キープのぺ・ドゥナを配したことに納得してしまう。ヨンナムの危ういジレンマをまさしく体現しており、見た目ミネラルウォーターなのに中身は…という「秘密」を呑み続けることも、彼女なら実に相応しい 。
ソウルに残した「秘密」についても、突如直球で現れる「相手」の言動を見れば、きっと純な時間を過ごしていたのだろうな…と想像できます。
核にあるのは、都会でも田舎でも、異端と刻印されたらピュアネスでも狩られる、という人類普遍の愚かさですね。
そして、ピュアネスは育て方を間違えると怪物化するということ。
本作では、これらへの安易な解決策は出しませんが、やはり時間が大切…とまでは囁いており、最後のヨンナムの台詞がものすごく効いていますね。ちょっと震えました。
いちばん心に残ったのはお風呂のシーン。いや、お肌が見られるからではなく、本来いちばん無防備で、心安らぐ場である筈が、ヨンナムにとっては地獄にも変わる。…ピュアネスを残した大人だから。この微妙さ繊細さに打たれます。この辺りはやはり、女性監督ならではでしょうか。
おそろしいのは、ピュアネスと絡みますが、「悪いことをしていないなら…」と、ヨンナムがドヒにあの教えを授けなかったら、事件は起きなかったかも…というところですね。この「ムラ」の中では、少女が生贄になることで負のバランスが取れていたわけで。
エンディングの後も、「ムラ」は元に戻るのみでしょう。これはヨンナムが去った、ソウルのあの場も同じですが。
都会と田舎を結び、女と少女のピュアネスが殺されゆく小さな物語をみていたら、これは世界の歪な縮図にもみえるなあ…と大袈裟なことを考えてしまいました。
単純に、ぺ・ドゥナさんの婦警ルックには萌えました。パンツスーツのお尻がステキ。ドヒが追いかけたがるのもわかります。
そして、終わってみると何故か、『ぼくのエリ』も思い出しました。
<2015.5.8記>