この作品のレビューにふさわしい文体を探したが、とても見つからなかったので、もう適当に喋る。
蔡明亮作品は、どれも救いようのない駄作でありながら、近年稀に見る傑作ばかりだ。「Aは"A"でありつつ"非A"であることはありえない」といった無矛盾律でさえ、この男の前では崩れ去る。これはすごいことだ。引退とかシケたこと言ってないで、はよ新しいの撮って。
ピクニック。人間立て看板で生計を立てる父。スーパーの試食を漁って過ごす兄妹。人間としての尊厳だとか正気の限界だとか、なんとでも読めるだろうが、ひたすら悲しかった。エドワード・ヤンのそれと似たかたちで、あるいはまったく逆のアプローチから、人間が人間として生きる本質的不可能性が描かれている。
『楽日』で描かれていた孤独とはまた違って、『郊遊』は割りと雄弁でエモい話。ボコボコにされるかもしれないが、個人的には分かりやすい作品だと思った。十数分に渡る長回し(ほぼ静止画)にはさすがにドン引きしたが、不思議と眠くはならない。が、単純にカフェインの効果かもしれない。