真田ピロシキ

隠し剣 鬼の爪の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

隠し剣 鬼の爪(2004年製作の映画)
3.8
最近は映画を見る気がろくになくて時間があっても本を読んでることが多い。今日読み始めたのは大正から昭和にかけての思想家にして活動家 山川菊栄が昭和18年に書いた『武家の女性』。著者が江戸時代に生まれ昭和まで生きた母に聞いた話と資料を基に水戸藩下級武士の生活を記したもので、そこからは普段フィクションに取り上げられない平凡な武士が見えてくる。サムライジャパンやらサムライブルーだのとかく現代の一般ピーポーは日本=サムライの国と言いたがるが、武士なんて人口のほんの一握りにしか過ぎないのはご存知の通り。その武士とて頂上の方に位置するのを除けば特別なわけではなく、ぶっちゃけただの公務員でしかない。しかも下級武士は藩からの禄だけでは食っていけないので内職や畑仕事もするのが前提の生活。そのくせ規律だけは厳しく必要がなくても体面のため使用人を雇わなくてはならず引っ越しもできず固定される人間関係。こんなものが羨ましいと思えるならオメデタイね。

そんなファンタジーではない侍記録を読んでるので久しぶりに山田洋次の藤沢周平三部作を見たくなった。『たそがれ清兵衛』と同じくボロ着の貧乏侍 宗蔵(永瀬正敏)。男前で剣の腕は立つが父が責を負わされ腹を斬っており、そのことで上からの覚えは悪い。下級であっても武士は武士で、昔から好いていた女中のきえ(松たか子)とは身分違いで一緒にはなれない。嫁ぎ先の商家で虐げられていたきえを無理矢理救い出す程のことをしてもなお少ない扶持を捨てられないのは、この男にもまだ武士身分への誇りという未練があるのかもしれない。

だが江戸に行ってた同門の狭間(小澤征悦)が謀反人として幽閉され脱獄した彼の追手に任命され完全に心が折れる。強敵の狭間を確実に倒すためには師より教えられた卑怯な戦法を取るしかなかった。更にトドメを刺したのは幕末の世で兼ねてより訓練されていた足軽による鉄砲。一体武士として磨き上げた剣の腕は何だったのだ?頭の硬い叔父が言ってた剣の根性論を疎みながらも本心としては信じたかったのかもしれないが、そんなファンタジーは打ち砕かれる。最低なのは命じた緒形拳演じる家老。狭間とその妻の復讐として宗蔵は家老を邪道の技で葬り、士分も捨ててきえと共に蝦夷へと旅立つ。自由になれた分、お偉方から良いように使われ最後は戦死した清兵衛よりはきっと幸せだっただろう。

山田洋次の藤沢周平三部作は当時サラリーマンの共感を呼んだと評されていたがそれは生温いと思う。だってさ、少なくとも社畜には辞める自由がある。だけどこの武士社会では命令されて嫌だから辞めますなんてできない。下手すりゃ切腹。斎藤元彦や岸和田の永野みたいなのが好き勝手できる社会。そんな世界で顔色を伺いながら生きることに誇りを持てると思うのかよっつーの。日本人に必要な侍の物語は先日見た『首』と同じくこういうもので、絶対に欧米人が分かったツラをして異文化を消費するショーグンなどではない。侍の国を名乗るにしてもせめて自国によるまともな表現を見るべきだし、それの発展に力を貸そうよって話。