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沈黙ーサイレンスーのdendohのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

原作未読かつ過去映画も未視聴。
去年がっつり長崎旅行(大村、島原、有馬、口之津、雲仙、長崎、外海、横瀬浦、田平、平戸と、五島等の離島を除いたキリスト教関連史跡のほぼフルコース)をしたばかりで、解像度MAXの状態で鑑賞。結果として、過去最高に楽しむ事ができた。特に外海に再訪し、遠藤周作文学館を訪れたい気持ちでいっぱいになった。

逆に本作を楽しめた人達は、是非に長崎県のキリスト教関連史跡/施設を訪れてほしい。宣教師達が訪れた各地の港、キリシタン大名の足跡、各地の崩れ関連の史跡、江戸時代を通じてガラパゴス化したカクレキリシタンの信仰、信徒発見以降に作られた各地の教会、全てがドラマチックで魅力的だ。

さて本作、島原の乱の後に日本を訪れた宣教師の受難を描く。主人公はロドリゴという架空の名前を与えられているが、歴史上存在した『転びバテレン』のジュゼッペ・キアラそのものであり、作中に出てくるフェレイラ神父や井上奉行は名前そのままの実在人物(因みに井上は後世のアメリカ人から、ナチスのアイヒマンに例えられたという。言い得て妙)

沈黙とは、地上で苦しむ信徒を救わず黙りこくるデウスの沈黙であり、一方では自身の信仰心を隠すキリスト教徒達の沈黙のダブルミーニングか。

ひたすらに陰鬱な作風。人が死に至る暴力的なシーンも多いが、それ以上に精神的にキツいシーンが多い。ご存知の通りキリスト教では自殺はご法度。しかし殉教は恐れない。そのような宣教師を棄教させる為、信徒達の命を人質にする様は恐ろしすぎる。そして最終的に踏み絵に応じるも、心の底では信教を捨てず、十字架を握りしめて死を迎える(日本人の嫁が理解のある人で良かった...)。
この信仰の篤さ、なかなか理解難しいのかも知れない。私は幸いにも、平戸や外海のカクレキリシタンの生き様を知っていたので、すとんと受け入れる事が出来た。

描かれる日本の風景が凄い綺麗だ(撮影は台湾らしいが)。この時代に行きたい!と思わせられる。その一方、人々の行為は無邪気で残酷であり、アンビバレントな気分に陥る。

なお原作は主人公が最終的に『踏絵を踏む』選択を取ることが問題視され、カトリック教徒からは禁書扱いされたという。
信仰心の薄く、キリスト教徒ですらない人間があれこれ言うべきではないかもしれない。それでも愚見を言えば、そもそも信教の自由は心の中の問題であり、行為は必ずしも重要視されないのではないかと思う。『信じるものは救われる』の言葉通り、例え踏んだとしても、心のなかに信仰心がある良いのではないか。
(そもそも聖書では偶像崇拝を悪しき行為としている為、進んで踏めば良いのでは?という説もある。なかなか興味深い話ではある)

しかしこんなにキリスト教を迫害したのに、明治維新以降になると、今度は神仏分離して仏教徒を迫害し、神道を本来とは違う形に作り替え、更にはキリスト教の価値観すらベッチョリになったのは、なかなかに節操のない話だ。他国にも似たような歴史はあろうが、最近のカルト教団問題も鑑みると、本邦の宗教史も全く褒められたものではないと思った。

スタッフロールでひたすら環境音が流れるのと良い。あれこそ『沈黙』のBGMとして相応しい。
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