えんさん

沈黙ーサイレンスーのえんさんのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.0
17世紀、江戸時代の日本。戦国の世から日本に伝来していたキリスト教は、江戸幕府の禁制令の下で厳しく取り締まられていた。日本に渡った師である宣教師フェレイラが、幕府のキリシタン弾圧に屈したとの報を受けた弟子の司祭ロドリゴとガルペは、中国にて知り合った日本人キチジローの手引で長崎に潜入することに成功する。上陸した地で出会ったのは、幕府の厳しい監視下にありながらも、信仰の光をともし続ける貧しきキリシタンの民だった。密かな布教活動を続けながら、なんとかフェレイラの消息をつかもうとしたが、逆に裏切りに直面し、囚われの身となってしまう。そこで迫られたのは、信仰か信者たちの命か選択だった。。信仰を追究した遠藤周作の代表作を、マーティン・スコセッシ監督が構想28年を経て映画化した作品。

「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「アビエイター」などの作品で知られるスコセッシですが、「インファナル・アフェア」のハリウッド・リメイク作(「ディパーテッド」)を手がけるなど、アジア通であり、親日家としても知られています。そのスコセッシが映画化を嘱望していた作品として、遠藤周作原作の本作があるということはだいぶ前から企画としては知っていましたが、公開になり、遂に彼の夢が実現したかという想いと、黒澤、小津など日本映画にも造詣が深い彼がどういう風に日本映画を手がけるか(少なくとも、「ラスト・サムライ」や「SAYURI」よりはマシな作品になるだろう)と期待してました。実際に観たすぐの感想は、期待通りの部分もあり、期待はずれの部分もあり、、全体的に微妙なデキだったかなというのが正直なところでした。

まず、期待通りというか、期待以上の部分は、何といっても前半の長崎への上陸から、密かな布教活動の部分でしょう。ノッペリとしたオープンニングの出発場面はどうかと思うにしろ、その後の中国、そして長崎への渡来から、非常に土臭いというか、陰影がくっきりというくらいつきすぎる絵作りは圧倒的な迫力に包まれます。「シャッター・アイランド」のときに魅せた銀残しのようなザラッとしたカラー感は、カラーなんですが、まるで白黒映画のような色の深さを感じます。それが未開拓でもある東方の国、日本の中世感を、日本人以上に上手く表現しています。お歯黒など、日本の時代劇でやると嘘くさいのですが、本作で見た絵は、まさに当時はこのように女性はつけていたのだろうなというリアリティも醸し出している。中盤に迎える、キリシタンの村への弾圧シーンの迫力まで、その力強さは続いていきます。この映像のダイナミズムは、まさに「七人の侍」等の作品で見られる黒澤イズムに他ならない。これはスクリーンで観るべき迫力を感じます。

しかし、この映画、後半にいくに従って尻すぼみになっていくのです。隠れていたロドリゴが役人に捉えられ、その過程で久しぶりにスクリーンで登場している窪塚洋介演じるキチジローが、ユダ的な役回りで、人間臭い部分と信仰との間で揺らぐキャラクターを好演はしているのですが、捉えられたロドリゴの周りで行われる弾圧の過程が最初の海での磔が強烈なイメージを残し過ぎで、その後のものが(申し訳ないのですが)淡々と処理されていくだけのように感じられてしまうのです。これは最初の弾圧が、ロドリゴが関わった民だったのに対し、その後に処刑されていく人々はただの通過人にしか過ぎないのが原因だと思います。その人たちが感じた苦しみが、どのように宣教師であるロドリゴに伝わり、最終的な彼の決断をどのように思考させたのかがイマイチ伝わらない。だから、物語のラストが本当にショボクレたものになったように見えるのです。原作があるので、お話は大きく変えられないのは分かりますが、ドラマとしてだけでなく、彼が司祭としてキリスト教とどのように向き合っていたのかをもう少し明確にさせなければならなかったと思います。でないと、この作品の真髄を描いたとはいえないのではないでしょうか。。