全部壊して、ゼロになれーー。
(クローズZEROより)
あらすじにあった「すべてをぶち壊してゼロにする」て、もはや三池崇史!「クローズZERO」やん!て、脳内に芹沢軍団がチラついてしまったけれど、違う。これ、西川美和や!「永い言い訳」やーー、となったものの、再度違う。本質的には全く違う。
妻が亡くなったことに少しも悲しくなく、涙も出ない、彼女を愛しておらず興味も無かった俺。という置かれたシチュエーションは完全に一致しているけれど、さて、、。というお話。
先ほど記述した通り、冒頭から「永い言い訳」感満載で、途中竹原ピストル親子ならぬナオミ・ワッツ親子登場で、特に子供との心通わせ合いにより、気付きに気付く。妻の死をきっかけに知り合うことになった親子というところまで激しく類似しているけれど、この知り合い方が洋画的、非常にクレイジー。外国の方はほんとM&Ms好きよなー。
そこサラッといくとこだと思っていた部分がめっちゃ絡んできたり、重要だったりして色々見過ごせない!
で、三池のクローズZEROはともかくとして、破壊とはそもそも再生を伴うものだから、狂ったように(てか完全に狂った)何でもかんでも破壊しだした主人公を見て、うん、うん、、今はな、とにかく壊せばいいさ、そしてゼロになって鈴蘭のてっぺんとりにいこうな、、と生暖かくも彼を包み込む目でその成り行きを見守った。
よくよく知れば、デモリション(破壊)という原題だった!邦題とのギャップ!
彼の破壊行動は、パソコン・冷蔵庫など壊れていても結構です♪という廃品回収車が喜んで持って行きそうなものに始まり、最後は自宅をブルドーザーで破壊するところまでエスカレートしてしまった、。クレイジーもここまでくると清々しいもので、長いトンカチ持参で混ざりたくなるレベル。
壊して分解して中身を確認してみないと本質はわからない。だから壊してみる。
急にすごい心に刺さってくる、恐らくこの作品が観る者に伝えたかった人生においての格言的本質。うう。
彼が何故涙を流せなかったのかの理由もわかります。
ラストシーン最高かよ!
おまけ。
フォローさせていただいている三郎丸さんのレビューを読んでめっちゃ気になったので、久々に洋画チャレンジしたんですけど、三郎丸さんがおっしゃっていた通り本当にクセ球満載でした。私はこの作品のチェンジアップを見極められたのかどうかは自信ないですけど、死球で出塁はできました。(三郎丸さんのレビュー大好きです。いつもありがとうございます。)