映画漬廃人伊波興一

生贄夫人の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

生贄夫人(1974年製作の映画)
4.1
星の数ほどの種類の人々をしっかり繋ぎとめ、眼には見えない、時には見えすぎる事もある支配と言う名の鎖

小沼勝「生贄夫人」

中途半端なメロドラマやミュージカルに接すればこちらから逃げ出したくなるくらい観ていて恥ずかしい。
趣味だの審美眼などの違いで人それぞれでしょうが、私など例えばフランソワ・オゾンの「8人の女たち」やドゥニ・アルカン『みなさん、さようなら」などはそのテーマが流れてきただけで耳をふさぎ、画面から目をそむけたくなります。

逆に徹底して妥協ないメロドラマやミュージカルがこれ以上にないくらい恐ろしいシロモノになる場合もございます。

例えばグル・ダッドの『渇き』や溝口健二「残菊物語」「近松物語」「西鶴一代女」など。

そして小沼勝「生贄夫人」も徹底して妥協しないメロドラマ。

別の言い方をすれば(断ち切れるものなら断ち切って見ろ)と画面そのものが公言して憚らない映画です。

いくら錆びかけても断ち切れぬ元妻・谷ナオミへの執着という鎖を何本も引きずる坂本長利のように、熟睡して百事を忘れる事は出来ても、どうしても逃げ切れぬ(ただひたすらモノにしたい)という悪徳にも近い願望。

普段は覇気満々の者でもその鎖が断ち切れそうになれば一瞬で心神耗弱状態に陥ってしまう。
誰しもに覚えがある筈だし、誰しもの周りにも存在する筈。

(裏切り)が介さなくとも成立する劇作・メロドラマの源泉がそこにあります。
山奥の廃屋でひたすら(責め)をうけ続ける谷ナオミがやがて(匂い)と(体温)から解き放たれマネキン・オブジェのようになった時、(支配されていた)立場から(支配する)立場に変容していく谷崎文学にも似た過程。
SM映画は、やはり豪快に笑って楽しむべきだと思うのです。