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ババドック 暗闇の魔物のharu0625のネタバレレビュー・内容・結末

ババドック 暗闇の魔物(2014年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

主人公が出産している病院へと向かう道中に事故死した夫。我が子の誕生日は夫の命日であり、その日を心から祝うことも、素直に子供を愛することも出来ない。自分が夫を“死なせた”という罪悪感からの逃避は、“この子が生まれなければ”という罪の転嫁へと向かう。母の中に潜むその悪感情がいずれ母を飲み込み、それが自分へと発散される…子供ながらの鋭敏な感覚でそれを感じ取ったサミュエルは、その恐怖を不気味な絵本の化物「ババドック」に投影し、はたからは異常な子供としか見えない行動で母に警告し、訴える。しかし、それは母にとって更なるストレスを加えてゆく…
主人公を取り巻く環境が止めどなく悪化し、彼女の中の狂気の矛先が我が子へ向き始めたとき、母と子、2人が共有する世界(2人の家)の中で、ババドックはもはや子供の妄想ではなく、現実の脅威として形を為し始める。それは愛する夫の姿を借り、彼女を罪の意識から“解放”するために、その罪を子になすりつけ、サミュエルの命を求め、殺害を唆す……

「結局ババドックは何なの?なんで最後あいつを飼ってるの?」というのが、観た人の大半が感じる疑問点だと思います。
ババドックが周囲の人も属する「現実」に存在するのか、それとも母子2人の感覚の中にしか存在しない幻なのか、作中では明確にされていない。つまりそんなのは些細なことであり、主題には関わらんのでどっちでもいい、という事でしょう。
大事なのは主人公が「ババドック」を自分の心の中の醜い一部分として認めた、という点ではないでしょうか。
人間の抑圧された狂気が、おぞましい怪物として顕現するというパターンは、ある意味ホラー映画の定番とも言えます。そいつを「やっつける」という行為が、「昇華させる」という心理的行動と結びつき、観客にも安心と爽快感を与えてくれます。
娯楽として考えればそれは素晴らしい事だけれども、実際に生きてる人間はそんな単純ではありません。
終盤、自分を操っていたババドックに相対した主人公は見事その化物に打ち勝つ。弱々しく打ち震えるそれは主人公に触れられるや息を吹き返し、悲痛な叫び声をあげながら家の地下室へと逃げ込む。「私の家から出て行け」と怒鳴られたその生き物は、しかし家の外ではなく、亡き夫との思い出の遺品が詰まった地下室に身を潜めました。怪物は外からやって来たのではなく、そこで生まれたのでしょう。
主人公は他人が夫の事を思い出させるのを許しませんでした。あの化物は、無理矢理に亡き夫への情念を断ち切ろうと抑圧した結果生まれたものでもあるのでしょう。
それを知った主人公は、自分の葛藤と向き合い、化物=悪感情がある(居る)ことを受け入れる…即ち、それが“家”の中にいることを許し、手懐けるという、より健康的な選択肢を選んだのです。それがいかに必要な事だったか、ラストに地域から様子を見に来た局員との会話のシーンで如実に伝わります。自分が産まれた日に父が亡くなった事をなんということもなく話すサミュエル、それを嗜めるでもなく、事実その通りだから仕方ない、とでもいう様に哀しくも吹っ切れたような笑顔で相槌を打つ母親。局員の戸惑う表情からもわかるように、これは他人には理解しがたい状況です。ですが母子2人には、それまでに無かった確かな絆が結ばれています。
心の中の悪意を単に異物として退治するのではなく、「受容する」。その人間的成長、その進歩が、“家”という象徴の中で、見事に表現されていたと思います。
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