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イット・フォローズのharu0625のネタバレレビュー・内容・結末

イット・フォローズ(2014年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

これは明らかに性感染症のメタファーだろう…と思ったんですが、監督が否定してるので別方面から考えてみました。

監督は、追いかけてくる「イット」で「性というものの不安、恐ろしさ」を表現したかったと語っています。
この場合は、性というものへの漠然とした忌避感、あるいは性行為を一種の禁忌として捉える厳格さの生み出す歪みの象徴としてイットが現れているのではないかと思います。
白黒テレビ、携帯電話が無くて巨大な受話器、なのに電子書籍読んでる(!)という時代設定の違和感も、時代的な偏見や厳格さを浮き彫りにするための意図的なものかな?と。

映画が進むほどに、イットの姿は主人公の身近な人間にじわじわと変貌していきます。
見知らぬ老婆、背の高い男性、そして友人達の姿。グレッグと寝た後は彼の家にグレッグの母親の姿で現れ(「お袋?」と返事するので彼にはそう見えている)、終盤ではジェイに全裸の父親の姿で襲いかかりました。

グレッグに襲いかかったイットは、彼の遺体に跨り、小便を漏らしながら腰を擦り付けます。重要なのはグレッグは既に死んでいて、この光景を見ているのはジェイだということです。この時のイットは、ジェイにとって「近親相姦」のイメージとして見えているのです。
ジェイが父親の写真を眺めた後、全裸の父親の姿でイットは襲いかかってきます。これもまた近親相姦のイメージです。
順当に考えれば、男女の性行為で想起される“禁忌”性がジェイにとっての限界まで高まった結果が終盤のイットの形状だといえるでしょう。
この姿のイットに立ち向かう場所も特徴的です。ジェイとポールが小さい頃、お互いに生まれて初めてキスしたプール。皆でポルノ雑誌を広げてもただ単に爆笑するだけだった頃、性というものの面倒臭さ抜きで、性行為もなしで、単純に恋というものを意識した場所がイットへの対抗手段として選ばれます。
なぜこの場をポールは選んだか。劇中でイットに痣を付けられたのはジェイとポールの2人だけなのが象徴的です。ポールは他の誰よりも、ジェイの見るイットが何者なのかということを漠然と理解していたのではないでしょうか。“性”を意識する前の大切な記憶にまつわる“場”が効果があるはずだと確信していたのです。

一時的にイットを撃退した後、ジェイはポールと寝ます。「何か変わった?」と聞くポールに「何も変わらない」とジェイは答えます。セックスする前と後だって、良くも悪くも何も変わらない。なら、過剰に“性”を恐れることはない。
病室で入院している友達は、肉体や精神のアレコレよりも結局死が避けられないことが何より最悪なのだと語る「白痴」の一節を読み上げます。うたた寝するポールを眺めながら、ジェイは耳を傾けます。おそらくジェイはこのとき、性というものに纏わりつく“死”のイメージを受け入れることができたのでしょう。
ラストシーンで2人の後をよたよた付いてくるイットは、ポールの姿ですが、劇中で“初めて”しっかりした服を上下に身につけています。この時のポールの服装と全く同じです。
走って逃げることも、背後を伺う事すらもしない2人は、手を繋いで歩きなから、洗車する男性や遊び回る子供達を眺めます。セックスしたからなんだというんだ。日常は何も変わらないし、子供達はそれで生まれてくるじゃないか。ジェイの感じていた性への恥、忌避感、畏れを刺激するのが困難になったことから、今までやたら露出狂じみていたイットは、ようやくちゃんと服を着たのでしょう。


…まあでもイットの劇中の大半の姿はどう見ても病人のそれだし、性感染症の発症が迫る恐怖を象徴させているように見えてしまうので、監督の発言はごまかしな部分もあるんじゃないかな?と思っています。
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