翌日、その翌日へと経過しているのは、日の明るさと暗さでしか分からない。ただ泳いでセックスして、すると日は暮れている。名前も連絡先も知らないけど、ここに行けば彼と交わることのできるヌーディストビーチでは、ずっとこの倦怠が続いていくようで、死はあっけらかんとそこにある。自分がいなくなっても、きっと誰にも留めない。殺人事件に動揺を見せず、変わらずこの場所に来る人たちは、本当はいつ死んでもいいという願望を忍ばせている。森の中、小粒の石の上で、何も気にせず肌をつけて寝て座るのも、湖の快適さがそこにあるから。