YOUME

セッションのYOUMEのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
4.0
名作として評価されてる作品って当たり前にめちゃめちゃ面白いんだな……とマトリックスに続いて本作を見て思いました

私は「スキルの多寡だけで人を見てしまうと、人は代替可能な部品になってしまい、一人ひとりが自分の存在意義を感じづらくなってしまうんよ……!!」という課題意識をずっと持ってきたし、本作でコノリー、タナー、ニーマンが席を奪い合うのを見たときは「これは人を機能的な部品としてだけ見る世界の局地やな……こんなん病んで当然だワ……」という感想を持ったけど、演奏のシーンを見ながら、「とはいえ人を深く感動させるのは圧倒的なスキルの高さなのである」というのもまた事実なんだよなあと思えた。スキルの多寡で全人格の評価をしてはいけないが、それはスキルを高める努力をしなくていいってこととはまた違うんだなあと。だから、スキルを高めようと頑張る領域とは別に、何者でもない自分を認め必要としてくれる領域をそれぞれが持てていればいいのかもしれない。多くの場合、その役割は家族やパートナーが担うんだろうね。

やっぱり会社やオーケストラみたいに、目的を持って集まっている集団においては、「全人格的な肯定」って難しいのですよね。スキルの多寡=その人の価値になってしまいやすい。でも、その会社の優位性が「社員一人ひとりの人格や人柄」によって生まれるような業態なら、そこを評価に組み込むことも可能なのでは?なんてことを考えた。(映画関係ねえ)

こんな心理的安全性の低い場所で自分の力って最大限に発揮できるんですかね??と思っちゃう私は、やはり体育会系の人とは相容れないのだろう……。「天才は挫折しない」、「Good job と言われたら、それで満足して練習するのをやめるだろう」。それは一部正しいのかもしれないけど、私は完全に褒められて伸びるタイプなので、「人によるんじゃないですか?」とも思う。

ま〜さすがにフレッチャーのは演奏とは関係ない人格否定まで入っちゃってるから、もはや指導とは呼べないんじゃないか。人材の流動性が低い場所ではこういう裸の大様が爆誕しがちなのかもねぇ。。(音大教員の人材流動性しらんけど)

でも、これで成果が出ちゃってるから、周りの教員たちも何も言えないんだよね。こういう恐怖政治的なやり方で、実際に高い評価を受けるものが作り出されている。そのことを私はちゃんと重く捉えないといけないよなー。会社で言えば、ちゃんと業績あがってる状態。でも、社員個人のウェルビーイングが疎かになってたら持続可能じゃないし、今は会社を評価する軸が利益や売上だけだから評価されてるだけで、評価軸が多様になれば、必ずしも「いい会社」とは評価されないんじゃないか。いやー、でも、オーケストラで言えば素晴らしい演奏が圧倒的に正義で、いい演奏をして多くの人に評価されれば幸福度も伴う、のかもしれないな。むずかしーなー。(映画と関係ない、自分の個人的探求課題とも紐づく作品だったので、いろいろ関係ないこと書いてしまった)

Whiplashいい曲!

24/006
YOUME

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